雨男で、デスバレーなどの砂漠でも雨に降られる僕にすれば、例外的に(苦笑)天気の恵まれたバスツアーであった。


バスツアーに参加
 東京駅出発のツアーバスで、1泊2日、花の名所4カ所めぐりの旅である。宿泊も、開湯1300年でギネス認定という山梨県西部山奥の秘湯「慶雲館」に泊まる。
 ペーパードライバーで、この20年近く運転歴のない僕には、花の名所は、1日1カ所がせいぜいである。その点、ウトウトしているうちに目的地に連れて行ってくれるバスツアーは、時間の有効活用でうってつけだ。滞在時間などの制約のあるものの、効率的に巡るには仕方がない。
 12日、朝、東京駅前を出発した。中央高速を経て、最初は山中湖村の花の都高原、である。ここには、かつて単独で2度(2013年、14年)、訪れている。最初は5月のゴールデンウイーク中で、快晴で、セールスポイントのチューリップが満開だった。


花の都公園でチューリップはほぼ終わりもネモフィラが盛り、富士に「農鳥」の雪形
 しかし今回は、遅すぎた。チューリップはほとんど茎が切られていた。遅咲きのチューリップがわずかに残る、という状況だった。
 しかし入園料を500円取るだけに、別の花が満開だった。白地に紫の斑点の入った花と水色の花のネモフィラで(写真)、北アメリカ原産の1年草である。和名を「瑠璃唐草(るりからくさ)」と言うらしい。ネモフィラは、国営ひたち海浜公園の「みはらしの丘」が有名だ。


ネモフィラ

 そこには劣るが、みはらしの丘にないものが、ここには添えられている。例年より少なめの白い冠雪をかぶった秀峰・富士山である。背景に富士山を配したネモフィラは、美しかった(写真)。


ネモフィラと富士山

 青空に聳え立つ富士山の冠雪の右側にぎりぎりに、昔から田植え時期の到来を知らせる雪形「農鳥」が見えた。


美しい全体像を見せてくれた富士山
 初めての参加者にはおあいにく様だったが、次に向かったのは、富士山裾野の本栖湖リゾートの芝桜である。こちらも、2年前にわざわざこれだけを観に、新宿から出かけている。その時は、5月24日だった。
 だから今回は早過ぎるかな、と思ったら、なんということか、入り口の看板に「見頃過ぎ」という表示である。
 なるほどかなりのフィールドで芝桜はやや枯れかかっていた。それでも残った芝桜がパッチワークのように広がり(写真下の上)、また特別に植えられていたムスカリの紫もきれいだった(写真下の下)。


芝桜

ムスカリの紫

 それは何とも残念だったが、ここもやはり2年前にはあまり観られなかった富士山がバッチリと背景を飾ってくれた。芋を洗うように込む展望台から遠望した姿は、手前に芝桜を配し、美しい(写真)。


芝桜を配した富士山


中国人観光客の群れに感興を削がれる
 本栖湖リゾートは、先に回った山中湖の花の都公園より西側に位置するから、違った角度から秀峰を仰ぐ形になる。青空に浮かぶ富士は、やはり日本一の山、である。
 ちなみに前回は晴れていたのに、富士山だけ雲をかぶっていた。静岡側から吹き込む湿気を含んだ気流が富士山に当たって冷やされ、雲を作る。したがって晴れても――特に午後は――富士山をなかなか拝めないという。
 今回は、花期をやや過ぎたが、それでも運が良かったのだ。神に感謝、である。
 ここは、平日だったのに、好転に誘われてかけっこうな人手であった。
 そしていつも感興を削がれるのは、中国人団体客である。やかましい中国語だけがひっきりなしに耳に雑音として入ってくるし、撮影スポットを長時間独占し、あるいは僕がカメラをかまえているのにその前に平気で入り込んでポーズをつくる。新宿から近いから、観光バスで大量に送り込まれるのだ。
 その不作法さと礼儀知らずの存在感からすれば、日本人などまるでよそ者みたいである。


山峡の秘湯に宿泊
 それで、この日の花の観光は終わった。
 時間は、2時20分。後は、宿である。
 宿は、山梨県の西端で、長野県南アルプスに近い早川町の山奥にある西山温泉の「慶雲館」という秘湯・古湯である(写真=翌早朝に撮影)。


慶雲館

 開湯1300年以上、日本一古い温泉で、ギネス認定だそうだ。
 町名にもなっている早川沿いの細いくねくね道をえんえんとバスに揺られて行った、山峡の温泉宿だ。
 毎分2000リットル以上という日本随一の湯量の強アルカリ泉が湧き、24時間入浴オーケー、展望大浴場だけでなく、給湯に至るまで源泉の湯なのだという。
 到着は、4時10分前、ところが僕はめったにないことながら、くねくね道を揺られたせいで、バス酔いしてしまった。ふだんならまだ明るいので、さっそく周辺の探索に出かけるのだが、この日は早々に部屋に入り、ごろりと横になってしまったのである。

(この項、続く)


昨年の今日の日記:「イコモスの『明治日本の産業革命遺産』世界遺産登録の勧告を韓国が非難することの辟易;文化、現代史」