アジスアベバの街の2つの記念碑を観て、僕たちのバスは国内線の飛行場に向かう。ここでバハルダールに飛ぶのだ。
どぶ川の橋上に路上生活者
途中、どぶ川のような所を渡った。車窓から見ると、路上生活者らしい母子が目に入った(写真)。アジスアベバで路上生活者を見たのは、これ1度きりだが、きっとアジスアベバには多いのだろう。
その後、地方に行き、庶民のみすぼらしい掘立小屋住居を嫌と言うほど見たから、この母子も、さほど苦痛には思わないのかもしれない。
都市はどこもビル建築ラッシュだが
走っていて、至る所でビル建築ラッシュである。ところが建築中のどのビルも、骨組みは華奢で、心もとない(写真;2月9日付日記:「エチオピア紀行(9):ビル建築ラッシュも、支柱が細くいつかは崩れ落ちそう;ちらりと見えた中国の存在感」も参照)。
アジスアベバの位置するアビシニア高原は、大地溝帯から離れ、比較的古い地殻の上にある。地震が少ないのかもしれないが、ビル自身の重みで自然倒壊の恐れもある。
アジスアベバがこれなら、地方の都市も推して知るべしだ。果たして、その後、回った地方の都市も、建築中のビルは同じ構造だった。
トラブルあったかレストランでの昼食は弁当に
昼食はレストランの予定だったが、どういうわけか弁当になった。その弁当も、ピックアップする場所に現地ガイド氏と添乗員氏が2人で取りに行ったきり、なかなか戻ってこない。飛行機に間に合うのか、気になった。
30分近くかかった戻ってきた。どうやら旅程の最後に僕たちが向かうダナキル砂漠への旅でトラブルがあったらしい。その解決の連絡に時間を取られたようだ。
汚い国内線待合室の椅子の上で昼食
国内線専用の空港に着いた時は、もう11時を過ぎていた。予め渡されていた旅程表では、出発は11時半である。僕らは、急かされるようにチェックインし、汚い待合室で弁当を食べる羽目になった。中身は、薄いパン生地で野菜や肉の具をくるんでいたものだ。今から考えると、パン生地に見えたのは、醗酵させないインジェラだったのかもしれない。
搭乗は、結局、1時間以上の遅れだった。なるほど途上国の飛行機は、時間どおりと言うわけにはいかないのだ。
搭乗のプロペラ機はカナダのボンバルディア製
飛行機は、プロペラ機だった(写真)。タラップで搭乗の際に機体を見ると、カナダのボンバルディア製である。リージョナル機として、世界でブラジルのエンブラエルと共に市場を二分している航空機メーカーである。三菱航空機が試験飛行中のMRJは、この市場に割って入ろうとしている。
昨年の今日の日記:「280万年前の最古のホモ属化石を発見、エチオピア、アファール地方;ホモ・ハビリス模式標本ОH7の再復元;進化人類学」