エチオピアと言えばコーヒー。
 ヒトがいつごろからコーヒーを飲み始めたかは定かではないが、最初はグミの実に似たコーヒーの木の果実を食べていて、残った種子に覚醒作用があることに誰かが気づき、焙煎してお湯で溶いて飲むようになったらしい。


タナ湖の島でコーヒーの木と実を見る
 そのコーヒーの木を、僕たちは青ナイル川の源流となっているタナ湖の中洲の島で見かけた。木には、真っ赤な実が付いていた(写真)。


コーヒーの実

コーヒーの木と実

 コーヒーの木は、日照の多い、標高1000数百メートルの高原を好む。アビシニア高原は、その条件に恵まれているが、大半の高原は乾燥した禿げ山で、ある程度の雨量の必要なコーヒーの木には厳しい。タナ湖の標高は、1830メートルであり、満々と水を湛えているように降水量にも恵まれている。
 ここ地域で、かなり栽培されているようだ。


輸出の半分を占めるコーヒー
 コーヒーの木に付けた赤く熟したような実は、いかにも美味しそうだった。ただ、野鳥のついばんだ形跡がなく、それから湧き出るように現れ、僕たちにしつこく付きまとっていた子供たちも食べていない。赤くなってはいるが、まだ熟してはいないのだろう。
 コーヒーは、無資源国エチオピアの最大の輸出産品である。輸出金額の半分近くが、コーヒーだ。近年でこそ、生花がヨーロッパへの重要な輸出品として伸びているが、まだまだコーヒーは外貨獲得に重要な産品である。


「コーヒー」は産地の「カッファ」に由来
 コーヒーの木には、主にアラビカ種とロブスター種があり、現在、飲まれているコーヒーはアラビカ種が大半で、ロブスター種はやや品質が劣る。アラビカ種は高原で、ロブスター種は低地で、という住み分けもある。ロブスター種は、その名のとおり、病害虫に強いとされる(「ロブスト」とは頑健な、という意味)。
 さてコーヒーの語源は、産地の1つのエチオピアの地名「カッファ (Kaffa)」に由来するとされる。「カフェ」や「カフェイン」もここから来たらしい。
 それが、紅海を渡って、最初はイスラム世界に、その後はヨーロッパで「コーヒー」として親しまれた。


作法のあるコーヒー・セレモニー
 焙煎した豆(つまり実の種子)から抽出したコーヒーが登場したのは、13世紀以降と見られる。紅海の対岸、アラビア南端イエメンでその飲用文化が花開き、世界へと広まった。これが、「モカ」ブランドのコーヒーだ。
 エチオピアでは、コーヒーは生豆を焙煎するところから始まる「コーヒー・セレモニー」で客人をもてなす。日本の茶道と似て、ちゃんとした作法がある。
 このコーヒー・セレモニーを、僕はエチオピアに行く前に1度、五反田にあるエチオピア大使館の実演で見たことがあり、またエチオピア現地でも夕食前にレストラン別室で観た(写真)。


コーヒー・セレモニー

 その他、空港でもショーのように演じている(写真)。


空港での実演


簡略化したセレモニーでも1時間
 セレモニーの始まりは、たくさんのカップを並べた台の前に、何か分からないが青い草を敷き並べることから。次いで、豆を炒る。そこから始まるので、セレモニーはおそろしく時間がかかる。
 炒っていると、コーヒーの香りが広がるが、その後に鉢みたいな容器に炒った豆を入れ、杵で何度も繰り返し突く。
 粉にしたコーヒーをポットに入れて沸騰させる。日本や欧米と違って、濾紙で濾すことはしない。
 コーヒーが沸いたら、カップに注いで客にふるまう。これを、3回繰り返すのが、正式のセレモニーなのだという。
 僕たちは、最初の1杯目を飲んで、レストランに移った。これだけで1時間余りかかった。


お土産としてコーヒーを爆買い
 日本へのお土産は、エチオピアではコーヒーしかない。他は、何にもないのだ。
 そのお土産用に、僕たちは最終日のアジスアベバで、専門店「TO.MO.CA.」(トモカ)に行った(「TO.MO.CA.」の商品は、上の空港での実演写真に見える)。最初の店は、日本人客でいっぱい。先を急ぐので、ここでの購入を断念し、次の店に行った。ここは、僕たち一行だけだったので、それこそいっせいに「爆買い」した。
 今も、朝、アジスアベバで買ってきた「TO.MO.CA.」のコーヒーを飲んでいる。いつものように砂糖もミルクもいれず、ブラックで飲む。豊穣な香りが、エチオピアの風土を思い出させる。
 最近、東京・代々木上原に、「TO.MO.CA.」の店が出来た(渋谷区上原3-44-11、Tel 03-6804-9304、代々木上原駅南口徒歩3分)。買って来たコーヒーが切れたら、買いに行こう、と思っている。


  所用で明日の日記は休みます。


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