ここにも、あった、あった。映画『オールウェイズ三丁目の夕日』の鈴木オートが自家用に使っていたような軽オート3輪車が、である。ただ、途上国共通の庶民の足、軽タクシーとして(写真)。


トクトク


軽オート3輪のタクシー
 どこの国の生産か分からないが、ペルーでも見たから、世界の途上国で共通に使われているようだ。インド車なのか。
 さすがに首都アジスアベバでは目立たなかったが、地方都市に行くと、街中はもとより都市間にも見かける。馬力が弱いらしく、乗用車に軽く抜かれる。
 この庶民の足は、「トクトク」と呼ばれるらしい。運転席にはドライバーだけで、助手席はない。後部に2~3人が乗る。ドアがないものも多く、急カーブでも走ろうものなら、振り落とされかねない。


首都アジスアベバは普通車バンの乗り合いタクシー
 首都アジスアベバでは、さすがに普通車のバンが主流だ。こちらは乗り合いタクシーで、大まかな経路が決まっているが、どこでも乗れて、どこでも降りられる(写真)。


アジスアベバの乗り合いタクシー

 稀にマイクロバスも走っていて、これはどうやら都市間のバスだ。
 どうも路線バスは、ないようだ。つまり交通も、終戦後の日本と似たような状況だ。
 田舎の農民は、年寄りも子供も、ただ歩く。ロバ車に乗れるのは、恵まれている方だ(写真=ロバは荷物運搬の主要手段でもある)。


ロバ車


都市間移動、富裕層はプロペラ機
 交通インフラは、整備されておらず、鉄道がない。ここが、第二次大戦中のイタリアに占領されたごく短期間を除いて、欧米の植民地になったことのない「誇り」の代償だ。宗主国は、植民地にした国の首都や大都市間にまず鉄道を敷いた。これが植民地経営の基本インフラだったからだ。
 日本も、領土に組み入れた台湾、朝鮮半島、南樺太には、学校建設とともにまず鉄道を敷設した。北朝鮮や南樺太では、今でも戦前の日本の鉄道が使われている。
 だからエチオピアでは、都市間移動は富裕層は飛行機、である。ただかなりの需要の見込める首都アジスアベバ発着便の一部以外は、ジェット機は少なく、カナダ・ボンバルディア社製のプロペラ機だ(写真)。


プロペラ機


自転車も普及しておらず、ママチャリも「高嶺の花」か
 首都アジスアベバで、珍しいことに鉄道を見た。最近、敷設された都市交通で、ただ実用に供されているか分からない。まだ試運転段階のように見えた。
 それなら庶民は、ママチャリに乗ればよい、と思うのだが、自転車すら普及していない。アジスアベバで自転車を時々見かけたが、これは若者が乗っているスポーツタイプの軽サイクルである。おそらくヨーロッパからの輸入品だろうから、高価なものに違いない。
 中国製の粗悪なママチャリすらないのは、庶民はそれすら買えないのかもしれない。アジスアベバでこれなら、田舎なら推して知るべしだ。


まずは自転車大国化か
 日本も、戦後まもなくは、重い自転車すら貴重品だった。庶民の憧れは、まず「マイ自転車」だった。それでも田舎では、ある程度は乗られていた。
 するとエチオピアの交通事情は、日本の戦前水準かもしれない。
 世界最貧国の悲しい現実だが、それにもかかわらず前に述べたように年間交通事故死者数は、日本の3倍なのである。
 まずはエチオピアは一時期の中国のように自転車大国を目指すのだろうが、そうなったらさらに交通事故は増えるに違いない。
 どうする、エチオピア?


追記 年初からの中国初の株安に加え、急激な円高、債券高による長期金利のマイナスなど、世界経済の激変が起こっている。
 10日間ものエチオピア旅行のため、その変化に追いついていけず、このような大乱を記録できていない。その間の新聞すら、まだ読み切れていない。仕事も、たまっている。
 それらの「滞貨一層」のため数日間、日記を休載します。


昨年の今日の日記:「イスラエル、マノト洞窟で5.5万年前頃の明確なホモ・サピエンス化石発見、それはネアンデルタールとの混血がなされた時期」