エチオピアで意外だったのは、食事が存外、美味いことだった。前回述べたように、ビールは望外の美味さだったが、食事も決して捨てたものではない。


海の無い内陸国なので、魚は希少
 ただ水の衛生は期待できないので、キッチンを覗いたらきっと食欲を減退させただろう。何事も、台所を見るべきではない。
 海の無い内陸国のエチオピアでは、魚は希少だ。紅海に面するエリトリアが、1993年にエチオピアから分離独立して以来、そうなった。
 だから旅で、僕たちが魚を口にしたのはたった2回だった。青ナイルの源流となっているタナ湖(写真)に生息する淡水魚テラピアと、後はメケレのホテルのレストランで食べた正体不明の魚のソティーである。


タナ湖を見下ろすレストラン

 テラピアは、日本でも「イズミダイ」や「チカダイ」という名前で流通する。ただしタイとは無関係である。


テラピアを完食
 同行の中高年女性陣の中には、「生臭い」と言って半分を残した人がいたが、僕は完食した。ソティーだったが、それほどに美味かった(写真)。食べたのは、タナ湖を一望のもとに置く湖畔のレストランでのランチで、である。


テラピア

 僕たちのテーブルが並んだベランダに、乾燥して涼しい風が爽やかに通り、熱帯なのにエアコンは全く要らない。


チキンとビーフの味覚差は天地の差
 それ以外は、全部、肉。
 最初、チキンが主餐として出てきた時、僕はがっかりした。水っぽいブロイラーを想像したのだが、全くの誤解だった。
 硬いけれども、噛めば噛むほど、ジワーと旨味が口中に広がる。昔、子供の頃に祝い事があると潰して食べた農家の庭先で飼育されていた地鶏の味である(写真=メケレのマーケットの鶏売り)。


メケレのマーケットの鶏売り

 反対に、不味いのはビーフだった。ビーフと聞いて、喜んでかぶりついたら、硬くて味はない。アメリカのレストランでよく食べた、ゴムのような味もそっけもないステーキそっくりだ。
 ある日、現地ガイド氏に尋ねた。エチオピアでは、チキンとビーフと、どちらが高価なのか、と。答えは、意外にもチキンだという。しかしそれは日本人の感覚だからだ。現地の人にすれば、味、そのものを反映した価格なのだろう。


ムスリムも多いからか、ブタは出ない
 アビシニア高原を走って、それがよく分かった。鶏は、農家の軒先で飼われている一方、ウシは短角牛やコブウシが、群れで草もまばらな荒れ地の原野で放牧されている。肥ったウシなど、まるで見かけない。
 これでは、チキンが高級なのも、うなずける。
 エチオピアは、基本的には古代キリスト教の系譜を引くエチオピア正教徒が国民の半数を占める。ただ東部の砂漠や南部ではムスリムもいる。ムスリムは、国民の3割余を占めるようだが、かなり世俗化していて、原理主義的な人たちは見かけなかった。それでもムスリムだから、彼らはブタを食べない。
 そのせいか旅では、1度も豚肉は出なかった。


インジェラを食べたけれど
 そしてエチオピアの食、と言えば、テフを粉に挽いて、醗酵させたインジェラ、である。僕たちは、ラリベラのレストランで、本格的なエチオピア料理を食べたが、様々な具の下にインジェラが敷かれていた(写真=下のインジェラに上に載った具を包んで食べる)。外国人向けに、醗酵を抑えたのか、酸っぱさはさほどはなかったが、大量の残飯が出た。


インジェラ

 インジェラエチオピアの国民食なので、僕たちも朝のバイキングでは必ず目にした。
 しかし慣れないせいか、やはり酸っぱくて美味いとは言えない。慣れれば病みつきになるというが、食文化の違いはいかんともしがたかった。


キャンプで食べた食事もまずまず
 僕たちの食事で極めつけは、ダナキル砂漠のど真ん中のアハメド・エラ・キャンプでの宿泊で提供された食事だろう。このキャンプは、細い丸木を組んだ小屋が広がる。鍵のかかるドアなどないし、ましてシャワーもトイレもない。
 ここでは、僕たちより先発していたティグレ族と見られる一家が僕たちの食事を支度してくれた。ママと思しき中年女性が差配し、息子たちが手伝う(写真は食堂になっている小屋で、右側が食堂、左側はキッチン。は、中をのぞかせてもらって撮影した炊事場)。


キャンプの食堂

食堂のキッチン

 水も食材も調理器具も、一切合切を起点のメケレから持ち込んだ。
 となると、食器の洗浄なんて、期待できない。しかしこのキャンプで、一家の作ってくれた簡素な食事もまた美味かったのである。


電気の無い砂漠でビールを飲めた幸福
 それでも信じられないことに、冷蔵庫もないこのキャンプでビールが出たのだ。タネは、近くに破綻国家のソマリアからの侵入者を警戒する国境警備の陸軍基地があり、そこの酒保から一家の1人が買ってきてくれたのだ。
 ぬるかったけれども、そんな贅沢は言えない。コック一家に、感謝。


昨年の今日の日記:「ポーランド紀行:早朝のクラクフ旧市街の散歩;追記 元民主党参院議員が文科相補佐官に、次の参院選睨みか」