エチオピアに行きたいと思ったのは、もう数年前のことだ。ここに1974年に古人類学史上、最初のほぼ完全に近い318万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスのメスの「ルーシー」骨格の模型が展示されており、そこを見たかったのだ。
 実際、ある旅行社の説明会にも参加して、仮申し込みもした。しかしその時にも、説明員にダニの問題が指摘され、その時は、結局、断念した。


「ルーシー」以外に「アルディ」と「セラム」の骨格模型も
 この模型自体は、ニューヨークのアメリカ自然史博物館と東京・上野の国立科学博物館で観たことがあるが、現地のエチオピア国立博物館で観ることに特別の意義がある。幸い、エチオピア国立博物館訪問は、最終日のアジスアベバ観光に組み入れられていた。
 ところが行ってみて、予想外だった。440万年前の人類最古の完全に近いアルディピテクス・ラミダスの「アルディ」骨格(写真)、そして330万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの3歳の女児「セラム」の骨格模型まで展示されていたのだ。セラムは、古人類で最古の完全に近い小児骨格である。


アルディ骨格

 いずれも初見であった。


サブサハラ最古の国家アクスム王国の地を訪れる
 そしてかつて英語版のアフリカ考古学の書籍を読んだ時、僕のサブサハラ・アフリカ(サハラ以南のアフリカ)のイメージからは想像もできない歴史を、エチオピアが有していることを学び、舌を巻いた。
 ツアーでは、サブサハラのアフリカ最古の古代国家アクスムの地を訪れ、そこに立てられたスティラ(写真)も観られることになっていた。


アクスムのスティラ

 アクスム王国は、現エチオピア北部からエリトリアを中心にして、既に紀元前に成立し、現イエメンとの交易で潤い、紀元4世紀のエザナ王の時代に絶頂に達した。エザナ王は、キリスト教を初めて受容し、さらにアフリカ最古の貨幣を発行したことでも著名である。
 1980年に世界遺産に登録されている。


ラリベラの岩窟教会群を訪問
 アクスム王国が滅ぶと、アクスム王国より版図は狭かったが、11世紀か12世紀頃にザグウェ王国が興った。その頃、現エチオピアの北方は、今日のようなイスラム教の土地となり、キリスト教国家のザグウェ王国の支配層も国民も、エルサレムへの道が途絶され、が巡礼が不可能になった。
 ゲブレ・メスケル・ラリベラ王は、13世紀初めにアビシニア高原北部の首都ロハに、キリスト教徒のために巡礼の地を支配地に造立することを決意する。
 ミニ・エルサレムのそれが、世界遺産にもなっている「ラリベラ岩窟教会群」である。10数基もの教会や関連施設が硬い岩をくり抜いて造られている。ラリベラ王国は、西のスーダンのメロウェから鉄を入手できたが、それにしても現代でもこの規模の工事を行うとしたら大変だったろう。
 そのラリベラも2日間にわたって訪れられる(写真=ラリベラ岩窟教会群で最も著名な聖ゲオルギウス教会)。


聖ゲオルギウス教会


中世ヨーロッパほ思わせる石造のゴンダール城
 さらにさらに、である。これも世界遺産に登録されている中世エチオピアのゴンダール城も観られる。ファジル・ゲビに建設された、中世ヨーロッパをしのばせる17世紀築城の石造のゴンダール城で有名で、これもアフリカ考古学ではゆるがせにできない歴史遺産である(写真)。ファジル・ケビは、アクスムとラリベラの中間の、それよりやや西方に位置する。


ゴンダール城

 ゴンダール王国は、アクスム王国、ラリベラ王国よりさらに年代は若く、17世紀から18世紀に順次、6つの城が造られた。
 これら3カ所は、アフリカ考古学ファンにとって外せない「聖地」である。


◎アファールのダナキル砂漠のダロール火山も
 これらが、エチオピアの誇る歴史遺産だとすれば、アフリカ大地溝帯が紅海に連なるアファール・トライアングルを埋め尽すダナキル砂漠に口を開けるダロール火山(写真=平地に近い低火山に噴出する温泉)と岩塩地帯は、地質学ファンの僕にとって、大いなる魅力であった。

ダロール火山

 このツアーは、大地溝帯内のそこを訪れる。これは、かつてNHK-BSプレミアムの「グレート・ネイチャー」で視て、魅惑された所である。
 ついに僕は、重い腰を上げて参加申し込みを行ったのである。


昨年の今日の日記:「『イスラム国』人質事件始末記、敗色漂い出したテロリストの焦りが事件を引き起こした;現代史」