申(さる)年にふさわしい話題を1つ。系統的に人類に最も近いのは、いとことも言えるチンパンジーだが、その心性は現生人類とはかなり違う。おそらくホモ・エレクトス以前の初期人類もそうだったと思われるのだが、彼らには未来への洞察もなければ過去への思い出もないらしい(09年11月6日付日記:「講演会で語られたチンパンジーの賢さは、「今」だけを生き、未来を考えない代償:ダーウィン、長谷川眞理子、松沢哲郎」を参照)。


透明な壁に隔てられた隣り合う部屋の2頭のチンパンジー
 そして他者への細やかな配慮もない(写真=タンザニア、ゴンベ・ストリームの野生チンパンジー)。だからなのだろう、メスをめぐって他集団を襲い、殺し合いもする。襲った他集団の幼体を引き裂いて食べることも観察されている。


タンザニア、ゴンベのチンパンジー

 他者への思いやりがないことは、京大霊長研の次の実験でも明らかになっている。
 透明なプラスチック壁を隔てた隣り合う2つの部屋に、2頭のチンパンジーを入れる。一方の部屋のチンパンジーには、甘いジュースの入った缶が与えられる。細い穴を通してストローを差し込めばジュースを飲めることは理解している。ところがこのチンパンジーAには、ストローが与えられていない。
 もう一方の部屋のチンパンジー(Bとしよう)には、ストローやロープ、杖などの入った道具箱を与えられる。しかしジュースの缶は、与えられない。


ストローをせがむチンプに持つチンプは知らん顔
 ジュースの飲みたいAは、隣のBの持つストローが欲しい。小窓から手を差し出して、ストローをくれ、と催促する。
 ところがBは応じない。ロープや杖を使って、遊んでいる。
 Aはほとんど癇癪を起こしそうになって、なおもBに激しく催促する。ここでようやくBは、「仕方ないか」という調子で小窓越しにAにストローを与える。
 やっとストローを手に入れたAは、美味しそうにジュースを飲む。それをBは、虚しく見る。


求められれば応えるけれど自ら進んで相手を助けようとしない
 この実験で明らかなように、Bはストローを選んでAに渡したのだから、なぜ相手のAが困っているのか、理解している。それでも、激しく、執拗に催促されるまで渡さないのだ。またやっとストローを手に入れたAも、ジュースの入った缶をBに渡してお礼にBと飲み合うこともしない。
 求められれば応えるけれども、自ら進んで相手を助けようとはしないのだ。
 アフリカの森でも、たまにチンパンジーは群れでコロブスなど小型動物の狩りをする。しかしその獲物を手にしたチンパンジーは、決して進んで肉の分配をしない。ちょうだい、と求められた時、しぶしぶと与えるだけだ。


コインを投入するとリンゴの出る機械を設置したら
 チンパンジーの心性をうかがう、もう1つの関連実験も行われた。
 やはり隣り合う透明な壁に隔てられた部屋に、チンパンジーCとDを別々に入れる。それぞれの部屋には、コインを投入するとリンゴ1切れが出てくる自動販売機のような機械が設置されている。
 利口だから、チンパンジーはすぐにこの機械のシステムを覚え、CもDもコインを投入してリンゴを出して、食べる。


自室ではなく隣の部屋にリンゴが出るようにすると
 次からが、やや意地悪な仕掛けだ。このシステムに馴れたところで、仕掛けを変え、自室の機械にコインを投入しても自分では食べられず、隣の部屋の機械からリンゴが出てくるというように変えたのだ。
 CとDにコインを渡して実験を継続する。Cがコインを投入するとDの部屋からリンゴが出てきて、Dは美味しそうにリンゴを食べる。Dも、また同じことをして、Cがリンゴを賞味する。
 一見すると、お互いに助け合っているように見える。しかし本当にそうなのか?


相手のためにはコインを投入しない
 次に両者に無制限にコインを与える。コインを投入したら、すぐに次のコインを渡すのだ。手元に常にコインがあるので、例えばCが立て続けに投入することがある。
 するとDは何もしなくとも、リンゴが得られる。だからサボって、Cのためにコインを投入することをやめる。Cは怒って壁を叩いたりする。Dも、Cがなぜ起こっているのかは理解しているらしく、しぶしぶとコインを入れる。
 だが間もなく、再びどちらかがコイン投入をサボる。
 このトラブルが続くと、ついにバカバカしくなった両者とも、コインを入れることをやめてしまったのだ。相手が応えてくれなければ、見返りはない。相手のために無償の奉仕をいつまでも続けることがアホらしくなったのだ。それが次は、自分のためになることを分かっていても、である。


初期人類もそうだった?
 このことから、チンパンジーは相手への思いやりのないこと、近未来の因果関係予測がつかないことも分かる。
 チンパンジー祖先と別れたばかりの初期人類も、種々の間接証拠から、そうだったと推定される。「思いやり」の芽生えが現れるのは、やっと180万年前に登場するホモ・エレクトスに至って、だ。このことは、昨年11月14日付日記:「ヒトはいつから障害者をケアするようになったのか? 東アフリカで野生チンパンジーの家族で障害児を2年間育てた観察結果」で述べた。
 これが、チンパンジーと、現代の我々につながる初期ホモ属とを分けた要因の1つかもしれない。
 なおこの日記で障害児を2年間も育てた母親チンパンジーのことを述べたが、これは他者への思いやり、ではなく、自分の遺伝子を受け継いだ仔への愛情であり、前述のこととは別の問題である。念のため。


昨年の今日の日記:「フランス、パリの新聞社を襲撃し、12人も殺害したホーム・グロウン・テロの衝撃」