少し前だが、日本マクドナルドの今12月期の巨額赤字が報道された。会社予想で380億円のマイナス純利益、すなわち欠損である。前期に続く赤字は、次期16年12月期にも残る見込みだ。3期連続となる。
マックのハンバーガーを食べなくなって10数年
日本マクドナルドの不振は、チキンナゲットに消費期限切れの鶏肉が使用されていた、さらに今年になって異物混入も報道されて、一気に消費者の足が遠のいたことがある。
ただマックの不振は、それだけでなくはなく提供するハンバーガーが飽きられたこともあるのだろう。例えばマックの不振は、本国のアメリカでも顕著で、健康志向のアメリカの消費者に敬遠され、他のファストフード店に押されて売り上げ減となっている。
わがことを顧みれば、マックのハンバーガーは、この10数年は食べていない。かつて田舎から出てきて大学生になり、初めて飲食して世の中にこんなに美味しいものがあるかと感動したのが、マックのハンバーガーであり、そしてコカコーラだった。そのコカコーラの場合、もう20年以上も飲んでいない。
世界遺産の旧市街にも田舎のドライブインにも店があったポーランド
コカコーラを飲まなくなったのは、甘い飲料を一切、飲まなくなったからことと一致するが、マックのハンバーガーはやはり飽きたからだ。
しかし世界は、そうではない。また違って風景が見えてくる。
昨年訪れたポーランドでは、世界遺産の旧市街でも、あるいは田舎のドライブインでも、どこにでもマックの店を見かけた。興味本位で店をのぞいたが、どこも繁盛していた。価格は、円換算で日本とあまり変わらなかった。日本の5割前後という所得水準からすれば、ファストフードとはいえ、かなり高価な食事だろう(写真上=クラクフからワルシャワに戻る途中のドライブインの一角にあったマック。写真下=クラクフ旧市街フロリアンスカ門そばのマックの店、右側に小さく写っている)。
イラン、キューバ、そして1990年のソ連のモスクワ
今、アメリカなどとの核合意が成ったイランと、アメリカと国交回復したキューバの国内では、若者の間でマックへの渇望が大きいという。いずれにも、マックの店はないが、やがて出来ることを待望しているのだ。
その報道に接すると、ソ連崩壊前夜の1990年にモスクワに初めて開店したマック1号店に、モスクワっ子が長蛇の列を作ったというニュースを思い出す。ソ連1号店の価格は、普通のハンバーガーが市民の月収に近い値段だったはずだ。それでもソ連の若者は、店を何重にも取り巻く長い列を作ったのだ。
抑圧国家の精神的自由の味
それは、マックのハンバーガーが「自由の味」、だからだ。
ポーランドのワルシャワに初めてマックの店が出来た時も、きっとこんな情景だったに違いない。ワルシャワの若者は、長く続いた抑圧された共産体制からの解放を、マックのハンバーガーを噛みしめて味わったのだ。
イランのテヘランの若者も、キューバのハバナの若者も、それを願っているのだ。
たかがファストフード、それでもそれは何物にも代えがたい精神的自由の象徴なのである。
昨年の今日の日記:「シリア北部でイスラムテロリスト集団「イスラム国」に拘束された日本人に見る平和ボケ」