明けてポーランド5日目(2014年7月14日)、クラクフのホテル・ショパンで目が覚めた。
 まだ早朝、5時前である。


「貸し切り」状態の中央広場
 じっと寝ているのがもったいないので、身支度を整えて外に出た。ホテルから旧市街までは徒歩15分強である。前々日、独りで旧市街からホテルまで歩いて帰っているので、道は分かる。
 早朝なので、前々日はあんなに賑わっていたフロリアンスカ門も全く観光客がいない(写真下の上)。そこから入って数分も南下すると、中央広場だ。ここも、ほとんど人がいない(写真下の下)。中世からそのまま残っている広場としては、全欧一の広さを誇るとされる中央広場だが、人がいないだけ余計に広く見える。石畳を厭わなければ、サッカーや野球だってやれそうだ。


早朝のフロリアンスカ門

人っ子一人いない中央広場

 たくさんの人で賑わっている時もいいが、施設内には入れないれども、ほとんど「貸し切り」状態の時も旅情に浸れて最高だ。


ミツキェヴィッチ像の周りにも誰もいない
 普段は周囲を観光客が取り巻き、記念撮影に余念のないアダム・ミツキェヴィッチ像にも人っ子一人いない(写真下)。アダム・ミツキェヴィッチは、ポーランドを代表する19世紀の国民的ロマン派詩人で、また熱心なポーランド独立闘争の闘士でもあった。


アダム・ミツキェヴィッチ像

 日本ではほとんど知られていないけれども、ポーランドでは英雄である。だからワルシャワでも見たように、あちこちに立派な銅像が作られている(ミツキェヴィッチについては14年8月12日付日記の「ポーランド紀行:ロマン派国民詩人アダム・ミツキェヴィッチ像と聖アンナ教会」を参照)。


日露戦争のロシア軍兵士にポーランド人が大量徴兵
 たまたま先日、NHKで『坂の上の雲』の再放送を観ていたら、日露戦争前夜、首都サンクト・ベチェルブールクで対ロシアの密偵をしていた明石元二郎が出ていたが、その明石に情報を売るロシア人スパイが、「満州の前線に、徴兵されたポーランド人が続々と送られている。ポーランド人兵士は、ロシア兵の2、3割を占めるほどで、ポーランドでは怨嗟の声が起こっている」と伝えていた。
 日露戦争で苦戦するロシアは、国内では都市で「血の日曜日デモ」で代表されるような大デモ、農村では農民蜂起に悩まされ、ついに皇帝ニコライ二世は国会(ドゥーマ)開設を認めざるをえなくなるほどだった。これが、ロシア第一革命である。


ポーランド人の独立意識を育み続けた詩人
 ポーランドでも、第一革命の波は渦巻いている。
 第一革命は、ロシアが対日講和を呑み、国内対策に注力できるようになっていったんは抑え込まれるが、第一次大戦の勃発の後の1917年、ついに二月革命でニコライ二世は退位して、帝政は打倒された。
 『坂の上の雲』で、ニコライ二世は、家族との触れ合いを何よりも大切にする優柔不断な男として描かれている。
 彼が、属国としていたポーランドやバルト諸国、フィンランドなどの国民の不満に気がつかなかったのは、凡庸な皇帝であったということだろう。
 アダム・ミツキェヴィッチは、ポーランド人民に脈々と受け継がれていたロシアからの独立という意識にエネルギーを注ぎ続けた最大の国民的英雄の1人なのである。


追記 アウシュヴィッツ解放70年

 昨日27日は、リブパブリが昨年訪問したアウシュヴィッツ=ビルケナウが解放されて70年となる。ポーランドでは、各国の要人も参加して盛大な祝賀式典が行われた。
 ただ解放が、ナチスよりも悪質なスターリン・ソ連の赤軍によってなされたのが残念と言えば残念である。


昨年の今日の日記:「南部アフリカ周遊:パーク見学後は、山の中のリゾートホテルへ隔離;都知事選、細川の殿は失速」