アウシュヴィッツ=ビルケナウの旅は、これで終わった。過去の問題としてでなく、今も最大20万人もの政治犯が虐待的収容されている北朝鮮の強制収容所や、日本人も「シベリア抑留」で体験したスターリン時代のラーゲリを思い起こさせる有意義な見学だった。


ビルケナウ収容所跡


野蛮な強制収容所はこれからも
 可能なら日本人が今後、決してこうした収容所にぶちこまれないことを願う。可能性として小さくても、最も考えられるのは、スターリニスト中国によって沖縄が占領され、保守層を中心とした沖縄県民の抵抗派がスターリニスト中国国内に拉致され、強制収容される懸念だろう。
 最近、沖縄で盛り上がっている反ヤマトンチュー機運が気になる。そして従来からの反基地イデオロギー。ここにスターリニスト中国がつけ入る隙がある。スターリニスト中国の歴史家の中には、琉球王朝が清や明に朝貢していたことを根拠に、琉球=中国領と主張する連中も少なくないのだから。


帰途、もう1度カジミエシュへ
 さて、我々は午後4時前に、ビルケナウをたった。
 これからクラクフに戻る。クラクフまでは、1時間から1時間半ほどだから、ひょっとすると5時前にホテルに戻ることになる。
 7月の高緯度ポーランドの午後5時は、まだ真昼、である(昨年の話だ)。
 どうするのかな、と思っていたら、ガイド氏と現地ガイド氏が気をきかせて、前日朝、雨の中を訪れた旧ユダヤ人街のカジミエシュに立ち寄ってくれた。
 雨が降っていないから、改めてじっくりと旧シナゴーグ(現在は博物館=写真下の上)や旧ユダヤ人街を見学できた(写真下の下)。


旧シナゴーグ

カジミエシュの旧ユダヤ人街


再びヘレナ・ルビンシュタインの生家を教えられたが
 アウシュヴィッツ=ビルケナウの悲劇と一体、として、現地ガイド氏は我々にもう1度、旧ユダヤ人街を見せたかったに違いない。
 この時も、現地ガイド氏(女性)は親切にヘレナ・ルビンシュタインの生家を指し示してくれたが、化粧品には無関心のリブパブリは、またしても柳に風と受け流してしまった。惜しいことをした。無知・無関心とは、あらたな知識を取り入れる機会さえ塞いでしまう。好奇心の鈍麻とは、考えてみれば恐ろしい。
 それでもホテルに戻ったら、時間は午後8時に近いのに、まだ明るい。夏の北部ヨーロッパは、快適である。


昨年の今日の日記:「南部アフリカ周遊:ライオン・パーク①;生後3カ月未満の仔ライオンもさすがに野生;ビッグ・ファイブ」