朝日新聞社が設けた吉田清治証言に基づく慰安婦報道を検証する第三者委員会の報告書が、22日夕、公表された(写真下の上=中込秀樹委員長から報告書を渡される渡辺社長)。それを受け、翌23日付朝日新聞では、1面(写真下の下)から38面にわたって、実に12面で詳報した。


報告書を受け取る渡辺社長

1面で報じる紙面


8月検証報道の「お詫び」なしと池上コラムの一時ボツは木村前社長が主導
 それで明らかになったのは、8月に検証記事で吉田証言を報道した16本の記事を取り消した際に「お詫び」をしなかったこと、それを批判したジャーナリストの池上彰氏のコラムを掲載せず、ボツを図ったことのいずれにも、木村前社長が関わっていたことだ。
 彼が第三者委報告前の12月5日に社長辞任したのは、したがってこの責任を厳しく問われることを避けたものと見られる。
 8月検証記事では、編集局の多くは、取り消しだけでなく素直にお詫びをすべきだったという意見だったが、最終的に木村前社長が「リスク管理から」反対して、中途半端な反省に終わった。それを他紙や週刊誌で批判され、8月末に掲載予定だった池上氏の「新聞ななめ読み」でもさらに批判されると、最終的にその掲載の判断が木村前社長のところまで上がり、ボツを示唆した。


木村前社長ら旧首脳部はジャーナリストに非ず
 しかも「コラム連載の継続は池上氏と協議中」という読者への説明と異なり、この時点で打ち切りの方向だったことも明らかになった。二重、三重に読者に嘘をついていたのだ。
 このコラムのボツ企図は、やはり他紙と、さらに若手社員からの批判の嵐で撤回され、9月4日に掲載に追い込まれる。
 木村前社長と、今回停職2か月の処分となった取り巻き役員は、紙面で虚偽を曝したこと、反対意見への言論封殺を図った点で、もはやジャーナリストの資格はないと言える。
 第三者委の報告書は、多岐に及んでいる。そのため普段は1時間弱で読み終わる朝日新聞がこの日は2時間以上もかかった。休日でなければ読み通せなかっただろう。休日の前日に報告書を公表し、その結果を休日朝刊に載せたことは新経営陣の潔い判断だったと評価できるだろう。


「角度をつける」と公言する記者たち
 さて報告書記事は、前述のように膨大な量にのぼるので、とても逐次的に解説できない。そこでこれまで話題にならなかったことなどを中心に、以下で私見も含めて解説を加えていく。
 まず第三者委の7人の委員のうち、岡村行夫委員(外交評論家)と北岡伸一委員(国際大学学長、政治学)は、かなり辛口の講評を加えている。
 岡本委員は、朝日社員の何人もの記者から「角度をつける」という言葉を聞いた、と述べている。つまり事実を述べるだけでなく、一定の執筆方針(平たく言えば左翼的筆致)で記事を書くという認識なのだという。
 それは、一方的な思い込みと表裏一体で誤報を生む。


「新聞社は運動体ではない」と酷評
 その脈絡で、日本を批判する慰安婦報道が長年続けられたと分かる。岡本委員は、自らの関与したごく普通の、何の問題もない事案が、1面トップであたかも国際的大問題であるかのように書かれた経験を披露し、「新聞社は運動体ではない」とまで、酷評している。ここで言う「運動体」とはいわゆる左翼市民団体・政党のことである。
 北岡委員も、キャンペーン体質、政府対人民の図式でとらえる硬直的筆致などを厳しく批判している。それが、慰安婦の誤報をいつまでも放置させた背景とする。
 特に、日本の官と民で拠出して慰安婦に見舞金を贈るアジア女性基金に対して当初取りつづけた否定的態度を問題視する。日韓基本条約で、いかなる個人補償もできないから、これが唯一の現実的解決策だった(しかも韓国側にかなり配慮して)のに、韓国側と共に国家補償にこだわり続けた。


韓国の過激な言説を裏書
 いくつかの言い抜け、論旨のすり替え、歪曲なども指摘する。
 両者の指摘は、日ごろの左翼的論陣に違和感を覚え続けているリブパブリには、胸のすく思いであった。
 両委員とも、吉田証言による慰安婦報道が「韓国における慰安婦問題に対する過激な言説をいわば裏書し、さらに過激させた」と批判した。
 3論併記された1つの論を書いた波多野澄雄委員(筑波大名誉教授、外交史)は、「(慰安婦)『誤報』が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない」とした。


「いわゆる『人権派』の一握り記者が報道の先頭に立つ」のも特徴
 その波多野委員ですら、慰安婦報道の偏った姿勢に疑問を呈し、アジア女性基金のその後の混迷と失敗(韓国側から全く評価されなかったのだから失敗だ)に国内から鉄砲を撃つ行為のようなものと批判した。
 そして波多野委員は、混迷する日韓関係の一因は「いわゆる『人権派』の一握りの記者が、報道の先頭に立っていた点も特徴的である。とくに、クマラスワミ報告や女性国際戦犯法廷の意義を過剰に評価する記事は主に、彼らによるものであった」とも指摘している。


韓国側を勢いづかせた1.11記事
 報告書では、1992年1月11日付「慰安所 軍関与示す資料」と題したセンセーショナルなトップ記事には厳しい批判を寄せている。
 このトップ記事は、当時の宮沢首相の訪韓の数日前に合わせて記事を意図的にぶつけられた。この記事を受けて宮沢首相は、会談で韓国側に謝罪に追い込まれ、その結果、さらに韓国側の対日批判をいっそう激化させた。
 波多野委員は、「日韓関係への影響という点からすれば、このスクープ記事は、韓国世論を真相究明、謝罪、賠償という方向に一挙に向かわせる効果をもった」と批判している。この韓国側の官民挙げての姿勢は、今日の朴槿恵政権にも引き継がれ、いっそう先鋭化していることから見れば、国益を害する反国家的なキャンペーンとも言えた。


植村記事にも言及
 報告書では、1991年8月11日の大阪本社版社会面に掲載された「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」という見出しの植村隆の書いた記事もある程度のスペースをとって考察している。
 ただこれについては、ここで触れるとさらにスペースが膨らむので、後日、日を改めて批判的に紹介したい。
 特に当事者の植村が、責任をとることもなく北星学園大学非常勤講師に居座ることが決まっただけに別に日記を立てた方がよいだろう。


昨年の今日の日記:「秒読み段階に入った前政治局常務委・周永康の逮捕と習近平の全権掌握への途;李東生、蒋潔敏、石油閥」