北の海のバルト海は、南の海とはずいぶんと違う。成田発の日航機がフィンランドの首都ヘルシンキ空港に降下中、窓から見えた景色だ。


北のバルト海は青くはないが、森と湖、島は美しく
 ヘルシンキとバルト海を観るのは、2度目だ。「多島海」と呼ぶにふさわしく、眼下に広がる海原に緑の島々が点々と散在する。しかし晴れているのにバルト海は、マリーブルーではなく、また島々を縁取るサンゴ礁と白砂もない。
 それでも緑に覆われた島は美しく、その緑を切り込むように家屋が建つ。
 ヘルシンキ郊外も、同様だった。森に湖が混じり、まさに森と湖の中の邸宅である。こんな家に住めたら、どんなに心豊かになれるかと思われた。


旅程中の食事よりも美味かったJAL機内食
 いつものようにビジネスシートなので、機内ではくつろげた。そしてJALの中で食べた機内食2回は、その後にポーランドとバルト3国の旅で食べたどの食事よりも美味かった。
 外国の便だと、ビジネスクラスでも機内食は美味くない。
 極め付きは、昨年2月から3月にかけて出かけたメキシコ行きで乗ったアエロメヒコ便である。帰国便だったと思うが、チョイスした和食で、出てきた味噌汁が白湯のような薄味だった。飲み終わると、椀の底にドロッと味噌が固まっていた。どうせインスタント味噌汁なのだろうかけれど、外国航空機だと味噌を全部溶かしてから客に出すという気配りもない。
 その点、さすが「お・も・て・な・し」の国のナショナルフラッグキャリアである。


眼下に見えたのはアムール川、バイカル湖か
 旅は、早朝の成田行きから始まった。集合時間は、朝の8時。バス便は、第2ターミナル着7時半の便しかない。そのため、まだ人も起き出してこない早朝に自宅を出た。
 おかげですぐに終わったチェックインの後、ラウンジでゆっくりと朝ビールを飲めつつ、朝刊を熟読できた。
 ヘルシンキ行きの便は窓側だったので、雲の途切れの間に下界が見えた。
 フィンランド行きは、シベリア上空を飛ぶので、だいぶ飛んでから見えた大河は、アムール川だったろう。だとすればその後に見えたのは、大きな湖はバイカル湖だろう。飛行経路から、そう判断できた。
 念のため、客室乗務員に尋ねると、関心がないのか、さぁ?、という返事だった。ここで、その人間の好奇心の有無が表れる。自分だったら、日頃の乗務の合間に地理を頭に叩き込み、航路から寸時に判断し、どこどこ、と答えられるだろう。


午後の一番暑い時間帯なのに、ヒンヤリした涼風
 それはさておき、快晴のヘルシンキ空港に着いた。
 夏のヘルシンキは、日本と6時間の時差がある。成田空港を午前10時半に離陸したから、10時間近く飛行しても、ヘルシンキはなお昼下がりである。
 降機は、ブリッジではなくタラップで地上に降りた。その時、午後の一番暑い時間帯のはずなのに、ヒンヤリとした乾燥した冷気に包まれた。まさに北欧の夏、である。
 我々は、ここで入国審査をして、ポーランドのワルシャワ行きのフィンランド航空便に乗り換える。これなら初めてのワルシャワでも晴天に恵まれるのか、と思ったのだが……。
 2時間半の乗継便待ちの間、空港内のショップを覗いて歩くと、さすがロシア革命前まで帝政ロシア領であったらしく(そしてロシアからの旅客も多いのだろう)、化粧品ショップにロシア語のキリル文字を見つけた。「パルフュメーリヤ」とある(写真)。


ヘルシンキ空港のお土産屋

 帰途、ヘルシンキで3時間ほどの自由時間があったが、市内のあちこちにキリル文字を見つけた。しかしポーランドとバルト3国はほとんど皆無に近かった。


キオスクで買い物した間に土砂降り
 ワルシャワ空港に着いた直後は、曇っていた。市内のホテルにチェックインし、その晩は夕食が付いていないので、スーツケースを開くのもそこそこに市内散歩がてらに夕食に出た。
 ところが外に出ると、頭の上に黒雲が広がっている。道を見ると、くぼんだ個所に水たまりが出来ている(写真)。


ワルシャワの水たまり

 傘は持たずに出たので、遠出は禁物、と思い定め、すぐ近くのキオスクの固まった店の1つに入り、缶ビール大とサンドイッチ、ハムを買った(写真=ポーランドの通貨のズウォチ。20ズウォチ紙幣なので、750円ほど。これで支払ってかなりのお釣りが戻ってきた。物価の安さを実感した)。


20ズウォチ紙幣

 そして外に出ると、いつの間に降り出したのか、土砂降りの夕立である。数人の市民が軒先で雨宿りをしている。通り雨と思い定め、しばらくそこで待った。
 砂漠のラスベガス(アメリカ)でもエアーズロック(オーストラリア)でも雨に遭った「雨男」にふさわしく、さっそくの雨の歓迎であった。


昨年の今日の日記:「メキシコ周遊:ハトのいない『鳩の家』から、いよいよグラン・ビラミッドへ;参院選結果短評」