アフリカで唯一、独立以来、34年間もロバート・ムガベが独裁政権を敷いている南部アフリカのジンバブエは、世界3大名瀑の1つのヴィクトリアの滝を観るために訪れる日本を含めた欧米観光客から、ドルを収奪する体制を整えている。


外貨獲得のために外国人観光客を標的
 かつて有力な外貨獲得源だったタバコも白人農場主を追放したことにより失い、今は輸出する物産はほとんどないという経済破綻国家である。天文学的なウルトラハイパーインフレのために自国通貨すら放棄し、米ドルを流通させることでやっとインフレを抑え込んだ(13年9月24日付日記:「南部アフリカ周遊番外:南アフリカとジンバブエのおカネ事情」を参照)。
 米ドルを導入しても(ちなみに外国通貨を自国の通貨にすることに、アメリカ財務省の承認は必要としない)、めぼしい輸出産品がないという状況には変わりはない。
 そこで目を付けたのは、観光客である。だが首都ハラレは、治安が悪いためホテルも整備されず、市東郊にある名所「チレンバ・バランシング・ロック」にも観光客を誘致できない(写真下の上=500億ジンバブエドル紙幣の図案)。それでもザンビアと国境を接するヴィクトリアの滝なら、何とかなる(写真下の下=ヘリコプターから観たヴィクトリアの滝)。ここを観光に訪れる観光客を金ヅルにしようと目論んだのだ。


500億ジンバブエドル紙幣

ヴィクトリアの滝


1回入国するだけで30ドル!
 まず驚かされるのは、入国(写真下)に際して徴収するビザの手数料の高さである。米ドルで30ドルもふんだくるのである。ただし有効期間30日以内に再入国の際は15ドルにおまけだ。1回入国するだけで30ドルだが、これはジンバブエ家庭の1カ月の生活費に相当するだろう。


ヴィクトリア・フォールズ空港

 我々は南アから入国の際、非能率のために長蛇の列をつくらされてえんえんと2時間弱待たされたあげく、45ドルのダブルビザという名称のショバ代を取られた(ただし係員は南アよりもずっと人懐こく、接遇はソフトだ)。
 というのも、ヴィクトリアの滝を見学するには、良い景観を観賞するためにいったんザンビアに出国して滝を観望し、再び宿のあるジンバブエ領のヴィクトリア・フォールズの街に再入国しなければならないからだ。


たった2日間で75ドルも取られた
 ところがムガベの強欲は、それに留まらない。我々はヴィクトリア・フォールズ市内のホテルを拠点にボツワナ領のチョベ国立公園にも日帰りで訪れた。この時は、「おまけ」は消滅し、再びビザという名の入国のためのショバ代を取られた。
 つまりわずか2日間で、ムガベは我々から1人頭、75ドルも取ったのである。
 おそらくそのカネは国庫に入らず、ムガベの懐に入るのだと思われ、それは腹だたしいが、払わなければヴィクトリアの滝もチョベ国立公園の野生動物も観られないのである。
 ちなみにボツワナもザンビアも、入国ビザは不要だ。ボツワナはダイヤモンドと金融、観光、ザンビアも銅と観光で、国家財政は窮乏してはいない。


ヴィクトリア・フォールズの街は外出自由
 首都ハラレは白昼も強盗がうろつくほど治安の悪いから、辛うじて貴重な金蔵であるヴィクトリアの滝で欧米ビジターからドルをふんだくるというシステムを作ったのだ。ジンバブエという国が、なお貧しく、子どもも餓死する国であることは、UNICEFのテレビCMに出てくる痩せ細った子どもの映像を見るだけで分かる。
 ところが意外にも、ヴィクトリアの滝観光の拠点都市のヴィクトリア・フォールズ市内だけは、建物も美しく、道路は広く舗装され、治安も悪くない(写真)。


ヴィクトリア・フォールズ街並み

 少なくとも昼日中なら、市内の独り歩きも可能だ。リブパブリも、南部アフリカ周遊では唯一、ここだけはガイド氏や添乗員氏に外出を止められなかった。
 つまりヴィクトリア・フォールズという街は、旧ソ連時代に西側ジャーナリストがガイドと称する監視人に案内された「ポチョムキン村」なのである。


しかしここは「ポチョムキン村」
 「ポチョムキン村」とは、ロシア帝国の軍人で1787年の露土戦争を指揮したグリゴリー・ポチョムキン将軍が、皇帝エカチェリーナ2世の行幸で見せるために大至急で小ぎれいなハリボテ村をにわかごしらえして取り繕った故事に由来する。貧窮を極める悲惨な農奴の暮らしと薄汚い掘っ立て小屋を女王の目から覆い隠すためであった。
 ちなみに映画ファンならロシア第1革命(1905年革命)にオデッサ港で起こった水兵の叛乱を描いたセルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』をご存知かも知れない。この戦艦名も、ロシアの女帝ご機嫌取りのこの将軍に由来する。
 スターリン時代のソ連や金日成時代の北朝鮮は、親共産主義的な西側ジャーナリストや作家から自国の窮乏を隠し、見せる時は彼らに特別の「ポチョムキン村」に案内し、国民はみんな豊かで、幸せに暮らしていると取り繕った。
 このポチョムキン村に幻惑されて、地上の楽園のように報じたおバカな(しかし犯罪的な)ジャーナリストや作家は、たくさんいたものだ。


1歩、ホテルから出ると物売りが寄ってくる
 だからその二の舞に陥らないように、リブパブリも「ポチョムキン村」であるヴィクトリア・フォールズの街は大幅にディスカウントして観たのである。
 ここがポチョムキン村であることは、ホテルの敷地に塀とフェンスが張られ、出入り口にはガードマンが目を光らせ、一歩外に出ると、5月の蝿のように物売りが寄ってくることから分かる。
 リブパブリがここの路上で、物売りから記念に超高額額面で今は使用できない粗悪な紙のジンバブエドル紙幣を買ったことは、上記の日記を参照されたい。このポチョムキン村でも、物売りは一掃できないのだ。


昨年の今日の日記:「シリアに転機の兆し、されど平和への展望は暗い」