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 2016年夏季オリンピックは、ブラジルのリオデジャネイロに決まった。東京は2回目の投票で落選、となった。やっぱり残念、の思いがする。意外だったのは、オバマ大統領まで乗り込んだシカゴが一番最初に脱落したことで、オバマ人気にも陰りが出てきたのか。

BRICs諸国の雄なのに、独り「蚊帳の外」
 これで、08年の北京夏季五輪、2014年冬季五輪のソチ(ロシア)と続いて、ブラジル開催となる。善し悪しは別として、BRICs諸国の国際スポーツ界における地位が高まっているのは確かである。
 さて、この中で、1国だけ蚊帳の外の国がある。言わずと知れたインドである。つい最近まで世界最貧国に分類されていたインドでは、スポーツは一握りの富裕層の趣味であり、ホッケーとクリケット(五輪非採用種目)以外、世界レベルにある種目はない。世界スポーツ界での存在感は乏しいが、国内のインフラも貧弱なので、五輪を開催して、国際社会での存在感を高めるとともに、併せてインフラ整備をしたいのは山々だろうと思う。
 しかし、昨日の五輪開催都市決定の同じ新聞の国際面に小さく(たった14行!)載っていた次の記事を読むと、この国は当分は大きな国際スポーツ大会を開けないのではないか、と考えてしまう。

「赤い回廊」農村部に浸透するナクサライト
 見出しは、「インド毛派 子ども含む16人射殺」という記事だ。短いので、全文引用する。
 「インド東部ビハール州からの報道によると、同州東部の村で1日深夜、反政府組織インド共産党毛沢東主義派(毛派)とみられる約100人の武装集団が、子ども5人を含む村人16人の手足を縛り上げ、射殺した。AFP通信によると、村では農地の所有権をめぐり2つのグループが対立しており、毛派は一方のグループに耕作禁止を命じていた。これに従わなかった3家族が標的になったという。」
 ビハール州は、東部をインド左派共産党(CPI-M)が州政権を握る西ベンガル州を控え、ネパールからインド中部にかけて広がる「赤い回廊」13州の1つである。なお「ナクサライト」(毛沢東主義派=写真=の通称で、1967年、文化大革命に揺れる中国に支援され、左派共産党から分裂した武装闘争至上主義の過激派である)と、左派共産党(CPI-M)とは全く別組織で無関係である。
 この短報によると、村は、昼間はともかく夜はナクサライトの支配する「解放区」となっているようだ。
 ナクサライトの手口は、かなり凶悪である。おそらく自派の命令に従わず、「税金」という名の上納金を納めなかったことが村内を2グループに分裂させ、3家族はそのスケープゴートにされて公開処刑されたに違いない。子どもまで処刑するなど、秀吉のキリシタン弾圧をもしのぐ蛮行である。

◎「解放区」で行われている残忍な処刑
 毛沢東主義派の名が付いているとおり、その振る舞いは、1950年代後半の大躍進期と60年代~70年代の文化大革命期に残忍なテロルを行った毛沢東直伝のごときのようだ。もっとも毛沢東も、政権獲得前の抗日戦争期は農民を味方につけるために、「農民から針1本盗ってはならない」という高い倫理性を示していたが。
 なお左翼用語には、我々民主主義に生きる者からすれば、形容矛盾がいたるところにある。「解放区」は、さしずめちっとも共産主義的でない共産党という名称と並ぶ、矛盾の深い言葉だ。
 「解放区」とは、左翼ゲリラが実効支配し、政府支配を受けていない地域を指す。政府支配が及ばないから、憲法はもちろん、国内の民法、刑法などの法の支配を受けない。実行されるのは、左翼ゲリラが勝手に作った決まり事である。
 例えば、村長、学校の校長、警察の署長などは、敵の支配階級の手先だから、「解放区」では真っ先に処刑対象になる。対象になる人物も、それを知っているから、ゲリラの武力で村が「解放」される前に逃亡してしまう。民衆としては、法の支配を実行する人たちがいなくなってしまったので、乗り込んできたゲリラ司令官の指示どおりに行動するしかない。さもないと、「反革命分子」として処刑対象に入れられてしまうからだ。ニュースの村も、そうした「解放区」の1つなのだ。
 インド国内で、「解放区」がどれだけ広がっているかは不明だが、「赤い回廊」の13州の中で、夜間だけ「解放区」になる地域はかなり広がっているようだ。

◎都市ではイスラム原理主義テロリストの脅威
 このような国で、オリンピックを開くかとなると、国際オリンピック委員会もびびってしまうに違いない。
 しかもインドには、ナクサライトより恐ろしいテロリストがいる。ナクサライトは農村部に限られるが、都市ではいつ襲ってくるかもしれないイスラム原理主義テロリストが跋扈しているからだ。都市で開かれる五輪にとって、こちらの方が脅威だろう。
 極左の毛沢東派ゲリラと極右のイスラム・テロリストという2つの不安要因を抱えているのでは、インドの五輪開催など夢のまた夢である。民主主義的な巨大開発途上国のディレンマである。開かせてやりたい、と思うのだが。