2024年2月6日

「世界のオザワ」

都内自宅にて心不全で亡くなる

哀悼の意を表します。



ユダヤ人と日本のクラシック音楽

✈️ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー✈️

彼ら抜きでは世界の小澤征爾もいなかったという記事を紹介します。


クラシック音楽には詳しくないので、世界でも有数のクラシック音楽大国なのだということを、不勉強なため、初めて知りました。ちょっと驚きです。



本題ですが、日本のクラシック音楽に多大な貢献したユダヤ系音楽家の存在があるというお話しに耳を傾けてみたいと思います。



その名をローゼンシュトクという方。ナチスによる迫害を逃れて来日したユダヤ人指揮者であり、ポーランド生まれ。来日は1936年(昭和11年)



ナチスから迫害、国外追放された理由には彼がユダヤ系であるという理由の他にも「頽廃音楽の擁護者」という理由があった。



頽廃音楽という言葉は二度と聞きたくないワードですが、日本も軍国主義が統制していた時代は頽廃的服装とか、レッテルを貼られ槍玉にされていた時代がありました。



従わない人々を槍玉にすることが当時の正義でり、逆らうことの出来ない同調圧力は、今私たちが過ごしている社会も直面中!



では、いつから西洋音楽が浸透して来たかということですが、江戸時代にはほぼ無かったようです。蘭学は盛んだったよう聞きますが、幕末やその後明治に入ってからになるようです。




日本は江戸時代、約200年間鎖国をしていた。この時代には当然ながら西洋の音楽が伝わるスキがない。隠れキリシタンのオラショや、長崎在住のオランダ人によるオペレッタ、シーボルトが持参したピアノなどあっても鎖国しているので普及する訳がありません。



幕末にペリーが来航した時に連れてきた軍楽隊の演奏が人々を驚かせたという。軍楽隊の演奏はその後も続きますが一般庶民への影響は限られていました。



ほぼ西洋音楽とは閉ざされた時代に、1900年(明治33年)にヤマハの国産ピアノが誕生したということが画期的なことになりますね。




ヤマハの楽器は世界中で高い評価を受けていますが、ヤマハの創業者山葉さんは機械器具の修理工だった。たまたま、静岡県浜松尋常小学校の壊れたオルガンを修理したことがきっかけで、オルガンの制作を決意したとのことです。




その後、チャイコフスキー・コンクールの優勝者となったのは上原彩子さん、楽器はヤマハ製造のピアノだった。ピアノは演奏者にとってパートナーと呼ばれるほど大切なものなんですね。




如何に日本人が制作した優れたピアノが世界の頂点に至ったかに納得します。



クラシックのジャンルではないのでしょうが、かの有名なピアニストでもあり、最近ミラノでコレクションを開催したYOSHIKIが使用しているクリスタルピアノも国産KAWAIのピアノですよね!




何故パートナーとなる楽器が大切なのか


✈️ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー✈️



「優れたピアノは豊かでバランスの取れた音質を持ち演奏者の表現力を引き出す。そのためには高品質の楽器が必要です。」




「コンクールでの演奏は高度な技術と正確さが要求される。正確なタッチ感と素早い応答性を持ち演奏者を技術的にサポート出来る楽器」が必要になる。



なるほどです!

演奏者が世界的コンクールで優勝するということは

パートナーとしてのピアノもその優秀性において優勝したと言えることなんですね。



楽器を何台も何本も持つことは、その辺りの演奏者の表現したい世界を表現可能な楽器である必要性がある訳ですね。お金もかかる世界ですね。芸術ではありますが💦




クラシック界の世界的スター小澤征爾氏や11歳でニューヨークデビューした五嶹みどりさんなどがいらっしゃる。他あまたのスターがいらっしゃると思いますが、吉村ひまり、村田夏帆なども含めて含めて欲しいです。



以前に関連したブログをアップして起きました。ユダヤ人巨匠のハインフェッツ氏が日本の帝都の恩人と呼ばれるようになった経緯も記載しました。

ご覧ください。




ユダヤ人音楽家が費やした

日本クラシックへの影響


✈️ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー✈️



こういった西洋音楽、特にクラシック音楽世界に多大な影響を与えた人物にNHK交響楽団の前身・新交響楽団にユダヤ人指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトク氏が就任した。1936年の就任になります。




こちらローゼンシュトク氏もナチスの迫害を受けて日本に来た方。ドイツベルリンでユダヤ文化管弦楽団の指揮者として活動されていた。




そして、現在のNHK交響楽団の楽団員を徹底的に鍛え上げたようです。そのため、もしローゼンシュトク氏がアメリカの指揮者になっていたなら、世界的スター小澤征爾氏は生まれなかったかも知れないほどの影響を残した方です。




ユダヤ人ピアニストのクロイツァーは、やはりナチスの迫害を逃れて来日し、東京音楽学校でピアノと指揮法を教えていた。フジコヘミングは彼の弟子だった。




そしてウィーンでユダヤ人指揮者レナード・バーンスタインに出会いウィーンでリサイタルを開くチャンスが与えられた。ここでもユダヤ人音楽家との関わりがあります。




バーンスタインと若き日の小澤征爾氏


バーンスタインはニューヨーク・フィルの副指揮者に抜擢したのは、当時のバーンスタインでした。






最後までお付き合いありがとうございます。



おやすみなさい