先日ニュースで足利事件の再審で裁判長が菅谷さんに謝罪したとのこと。

僕が高校生の頃だろうか?地元で起こった足利事件の犯人が遂に逮捕されたと当時ニュースで大々的に報道していた記憶がある。

当時の地元では足利という街は田舎にもかかわらずあまり他人に干渉しない土地柄でそれが捜査を難航させているという噂があった。


冤罪で17年以上の歳月を刑務所で過ごさなければならなかった菅谷さんの気持ちは想像に絶するものがある。


どんな社会的地位が高い人間が謝ったところで菅谷さんの時間は帰っては来ない・・・にもかかわらず「冤罪はこれで最後にしてもらいたい。」という菅谷さんのコメントはなかなか普通の人が言えないコメントだと思います。



この事件を通して国家権力の恐ろしさをあらためて知りました。
生来、権力をカサに来て威張っている人達には生理的嫌悪感をおぼえていましたが、本当に恐ろしいですね。
日本人という国民性は歴史を見てもなんだかいつも「役人は正しい」と疑いもせずに正しいと思いこんでいるのだなと、ちょっと悲しくなります。

欧米などは歴史の中に市民による「革命」というのが多く見られますが日本の歴史には市民による世の中をひっくり返すような革命ってほぼないですもんね得意げそういう風に国民を巧みにコントロールしてきた国はそれはそれでよくやったな、とは思うのですが・・・。

話は飛びますが時代によって国のやり方なんて実に曖昧なモンだと思います。

いま芸能界で・・・みたいに吊るし上げられている覚せい剤、戦時中は「元気がでる薬」としてそのへんの薬局で打って、いや売っていたんですから。

誤解しないでいただきたいのですが決して違法な薬物擁護しているわけではありません。


時代と共に正義の定義も変化していくという事です。そしてそういう流れの中で犠牲になるのはいつだって我々庶民だということです。