![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230818/19/kawafishi1129/a9/f3/j/o0783108015326866573.jpg?caw=800)
新免武蔵守藤原玄信
しんめんむさしのかみふじわらのはるのぶ 又は げんしん
これは 通称 宮本武蔵 の著書
五輪書 ごりんのしょ の 冒頭に
書かれた名です。
新免 とは 武蔵の父無二 又は 無二斎が仕えて居た 新免宗貫氏から懐いた姓名又は新免氏の一族とも、
姓名の事は長くなりますので、
ここまでとし、
肥後、熊本の金峰山の麓に
岩戸山が有ります、
そこに 雲巌禅寺が有り、その奥に霊巌洞と呼ばれる洞窟があります。かなり大きな洞窟で
石体四面の仏様が納められてます。ここを岩戸観音と呼びます、晩年 武蔵はここを気にいり、座禅等の修行の地とした
ようです、
巌流島の決闘の後 肥後の地に
武蔵は来たのではないか?とも
云われます、そこで岩戸観音にも そして球磨の地まで足を伸ばし、その頃も高名だった 丸目蔵人に会ったのではないか?
そして 一手 手合わせを願ったのではないか、 と思わずにはいられません。小山勝清さんの
それからの武蔵 の話しが現実にあってもおかしくない、と思えるのですが、武蔵(1584~1645)
丸目蔵人(1540~1629)巌流島の決闘1612年だから 武蔵28歳、丸目72歳、充分に闘えます。
小山さんのそれからの武蔵では老練な丸目蔵人左徹斎が描かれ
くらんどのすけてっさい
てまして、武蔵が、最後には遠く及ばずと呟きます。
今日の本題を反れてしまいました。 岩戸観音の雲巌寺には
巌流島で佐々木小次郎と闘ったおりの木刀が所蔵されてました、子供の頃から何度も拝見しました、櫂を削って作った木刀です、武蔵の映画、ドラマでは
必ず出てくる物ですが、ほとんどが形が違います、櫂を意識して作られたからでしょうか、
ほとんどまっすぐで先がやや大きくなってます、赤樫です、
長さも長いです、4尺2寸127cmあります、小次郎の燕返しの長刀を意識して作られた物
でしょう。今は武蔵の物を数多く所蔵されてる、熊本市の島田美術館に保管展示されてます、木刀も本物と同寸法の物を販売されてます、1キロ400有りかなり重いです。
但し赤樫ではありませんでした。この木刀は子供の頃は
武蔵所用の木刀としか知りませんでした! いつの間にか巌流島
で使った木刀と言われるようになってました。
そう言えば 文献にあるような
見事な木刀であります。
なお 熊本、八代市の松井家にも
これと同じ巌流島で使用した木刀があります、形はかなり似てますけど、少し違います、
松井の殿様から巌流島で使用した木刀はと問われ 武蔵が作り
献上した物と云われます。
なお松井家とは巌流島の前から交流があったと云われます。
どちらも本物ではありましょう。ただ巌流島使用の物とは
決闘後すぐに こちらに来たのであれば使用したその物の可能性は大きい。
なお 雲巌寺には武蔵の木刀と一緒に自作と云われる見事な、不動明王像が有りましたが 今は個人蔵となっております。
これも武蔵意外 誰が作る?作れる と思える物です。
上記の写真は昭和初期に写された雲巌寺の写真ですが、
私達が行った頃もこうゆう感じで民家のようでした。
ここに 木刀と不動明王像が大分昔から置いてあったそうです。
いや 置いて有りました。