今日は、岡山県倉敷市真備、総社市へ

平成30年7月の
豪雨災害現場視察へ行ってまいりました。
 
7月上旬に起きた豪雨災害、
現場は、ほとんど水が引いていましたが、
建物の2階にまで到達する規模の大災害。
 
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屋根の上に上がり救助を求める人々の映像や
市が身元を確認した死亡者50名のうち
8割に当たる42名が、
避難に困難が伴う高齢者や障害者などの
「要支援者」でした。
 
今回は、
被害状況と
日々刻々と変わる現場のニーズ把握、
河川の氾濫現場を検証すると3つを
短時間で調査しました。
 
朝一番の新幹線のぞみ1号で岡山駅から、
こだまに乗り換え、一駅の新倉敷駅、
そこからレンタカーで現地入りです。
 
 
道中ののどかな田園風景が
現場に近づくと、
茶色い地面に変わり、
まだ粉塵が立ち込める中、
国土交通省の放水車が道路に水を撒いて、
粉塵を抑えていました。
家から運び出された家財道具が道端に林立しています。
車屋さんの車はすべて水浸しで、使えない状態でした。
 

 
 
 
まず倉敷市の真備支所へ
 

 
泥かきのボランティアに入っている方達が、
被災者の家に派遣されるのを待っていました。
全国各地から集まってきたボランティアの中には、
女性や、親子連れも多く、
本当にみなさんの懸命な救援に頭が下がります。
新潟水害で被害にあった三条市からも、
市の職員を中心に、
市民のみなさんが
ボランティアに駆けつけてくれたそうです。
 

 
また、
東日本大震災で被災した岩手県や宮城県の方々が
お互いさまの精神で、
あの時は自分がお世話になったからと
駆けつけていました。
その方々は口々にこう言いました。
「東日本大震災で
 自分のところが本当に大変だっただけに、
 7年経ってもまだ
 あの震災の教訓が生かされていないことが残念だ」と。
 
今後の防災政策のために、非常に重要なことを沢山伺いました。
 
真備支所長さん、
ボランティアの受け入れ窓口の方、
財務担当部署の方に、支所内を案内していただきました。
 
 
生死に関わる救助の後は、
文化財など水に浸かった絵画の修復などもあり、
本当に今はただただ時間との勝負なのです。
古文書や町の台帳など、
水に浸かって重たくなった書類の束を
一つ一つ運ばなければなりません。
 
 

 
役所の次に向かったのは、
もう一つのボランティアセンターのある真備記念病院です。
病院の一階にあった救急車が出動できずに水に浸っていました。
 

 
ここでもボランティア受け入れ窓口の方にお話を伺ったところ、
だいたい今日は300人くらい。ボランティアさんが来てくださっている。
今まで平日は平均500人くらい来ていたが、だんだん減ってきているとのこと。
 
驚いたことに
今日到着したボランティアの中に、
北海道から来た方がいたのですが、
その方は以前、無年金者の問題で相談に乗った方で
自分のことをちゃんと覚えていてくれました。
ありがとうございます!
 
それから真備記念病院の向かいにある、プロボノ集団の災害派遣センターへ。
どんな災害でも真っ先に現場に駆けつける彼らは、
建設機械などの重機を扱い、
夜間でも電気もつけて24時間体制で道を開く
災害復旧のプロ集団です。
今回も行政より早く現場入りして、
ガソリン代以外は無償で
人命救助、道路や水道の復旧などを
いち早く開始していたそうです。
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彼らのような人たちこそ、
日当を払って
災害現場に派遣するべきです。
 
自然災害大国の我が国には
「災害省」が必要です。
 
そして災害省から、
真っ先に彼らのような災害復旧プロ集団を
速やかに現場に派遣できる体制を作る。
これが、
今政府が最優先で
やるべきことではないでしょうか。
 
続いて避難所となっている学校を訪問。
真備地区最大の避難所、岡田小学校。
ここは、ギリギリ高台の上にあったために、
水害を免れ、避難所として使えることになったのです。
 
 

 
嵐のニノ(二宮和也)が訪問したことで
有名になりましたが、
間仕切りがあるとはいえ
段ボールベッドがところ狭しと並べられ、
プライバシーが確保されているとは言えない環境のようでした。
体育館のクーラーは全体に涼しくて効いていましたが、
教室の方のスポットクーラーは効き目が弱く、
何よりも夏休みが終わったら
別な避難所に移動しなければなりません。
 
 
ここにはペットのスペースも🐕あり
京都や愛媛などは
ペット同伴OKの避難所がなく
みなさん大変苦労されています。
ペットに限らず
高齢者や障害者、
女性や妊婦さんや乳児など
特別な配慮を必要とする方々を考慮した
全国的な
避難所インフラ整備も
急務です🐶
 
支援金も、
家が全壊か半壊かで、
撤去費用の公費負担割合が変わります。
取り壊した後の家の再建には、
新築一戸あたり53万円の支給。
この判断がとても複雑で
苦慮しているとのことでした。
即決定しないと、その分再建は遅れ、
遅れれば遅れるほど建築資材は高騰してしまうからです。
 
次に岡田小から西に行った園小学校。
ここには、移動の仮診療所が設置されていて、
HUMAの方々や医療者の方々が詰めていました。
つい最近までは、キャンナスの方達も入っていたそうです。
 
災害初期の緊急時が過ぎた今、
今度は地元医師会の方や開業医の方達と、
連携して医療体制を継続していかなければなりません。
 
園小学校は
校長先生が
支援物資である段ボールベッドの導入のために
現地で指揮をとってくれたおかげで、
草島鶴岡市議と、東京の山崎誠事務所とが連携し、
いち早く体育館にダンボールベッドを設置できたのです。
 
クーラーも全体に効き、
一人一台扇風機と氷もあって、
行き届いた避難所という印象でした。
 
 
 
 
総務省の「被災市区町村応援職員確保システム」によって、
他県の職員さんが沢山入っていました。
 
各地区の災害担当職員を派遣する体制は、
もし自分の自治体で災害があった時に、
避難所設置や運営などの実体験が活かせる
素晴らしい仕組みなので、
これを強化してゆくことが重要です。
 
そして、
災害物資の配送センターになっている
真備体育館。
駐車場には、「自衛隊風呂」が!♨️
 
暑い中、汗を流しながら
懸命に設営と運営をしてくださっている
自衛隊後方支援隊の方々には
本当に、頭が下がります。
 
開店前だったので、設備について色々と伺う事ができました。
 
段差を越えて入ることができない障害者や高齢者のために、
階段を設置したりお風呂の中に椅子を置いたり、
ベンチを置いたりしてきめ細かく対応しているとのことでした。
 

日本人にとっては、湯船に浸かれることで、
身体だけじゃなく心も癒される。
自衛隊隊員の方々だけでなく、
若い方スタッフたちにとっても
「やりがいのある良い仕事です」と笑顔が印象的でした。
 
自然災害大国の日本にとって、
水道という生命インフラが
いかに国民の安全保障にとって重要かを
改めて思い知らされました。
 
安易に民営化して、
非常時の水道管復旧や配水の責任を企業に委ねることが、
いかにリスクが大きいか、
今回の水害を見れば
一目瞭然です。
 
 
 
次に堤防を越えて、堤防が決壊した現場の視察へ🚶
(・・・・・To be Continued)