母校である東京経済大学の「葵友会」武蔵野支部の新春懇親会に出席しました。
今回は支部設立20周年を記念しての会だったのですが、そこで、思いがけない方との再会がありました。
東京経済大学 元学長の富塚文太郎さんです。
富塚先生は、私が大学に入学した1995年当時、学長をされていました。
今でも忘れることができないのですが、入学式のとき、富塚先生は、新入生を前にした挨拶の中で、私のことに触れ、薬害エイズ訴訟の裁判の原告として、実名を公表したことなどについて話されたのです。
(短い時間ですが、当時の様子はこちらの映像で見ることができます↓)
そして、今日の懇親会。
富塚先生はあの頃と同じように、挨拶の中で、私のことに触れられました。
”今日は嬉しい再会がありました
今日この懇親会に出席されている
今回は支部設立20周年を記念しての会だったのですが、そこで、思いがけない方との再会がありました。
東京経済大学 元学長の富塚文太郎さんです。
富塚先生は、私が大学に入学した1995年当時、学長をされていました。
今でも忘れることができないのですが、入学式のとき、富塚先生は、新入生を前にした挨拶の中で、私のことに触れ、薬害エイズ訴訟の裁判の原告として、実名を公表したことなどについて話されたのです。
(短い時間ですが、当時の様子はこちらの映像で見ることができます↓)
そして、今日の懇親会。
富塚先生はあの頃と同じように、挨拶の中で、私のことに触れられました。
”今日は嬉しい再会がありました
今日この懇親会に出席されている
川田龍平さんのことです
声をかけられ、
声をかけられ、
「ああ、あの学生さんか・・・」
と記憶が蘇りました
皆さんご存じの通り、あの当時、エイズのことは
皆さんご存じの通り、あの当時、エイズのことは
大変大きく社会に広がっていました
そんな中、
そんな中、
川田龍平さんが入学されてくるということになり、
偏見や差別などが起きないよう、
細心の注意を払ったのを覚えています
あれから時がたち、
あれから時がたち、
大人として立派に成長し、
国会という場で活躍されていることは
もちろん存じておりましたが、
今日、こうして改めてお会いでき、
今日、こうして改めてお会いでき、
元気な姿を拝見できたことを、
大変嬉しく思います”
富塚先生のよく通る芯のある声は、あの頃と変わりなく、お話を聞いている間、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。
今までも、母校から様々な応援をいただいていることを感じてきましたが、改めて、自分は東京経済大学から守っていただきながら、生きてくることができたのだと思いました。
東京経済大学の名前に恥じないよう、これからも精一杯進んでいこう。
改めて、そう誓った一日となりました。
葵友会武蔵野支部の皆様、ご出席された葵友会会員の皆様、
富塚先生のよく通る芯のある声は、あの頃と変わりなく、お話を聞いている間、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。
今までも、母校から様々な応援をいただいていることを感じてきましたが、改めて、自分は東京経済大学から守っていただきながら、生きてくることができたのだと思いました。
東京経済大学の名前に恥じないよう、これからも精一杯進んでいこう。
改めて、そう誓った一日となりました。
葵友会武蔵野支部の皆様、ご出席された葵友会会員の皆様、
そして、富塚先生。
今日は本当に、ありがとうございました。
今日は本当に、ありがとうございました。