タイトルについて考えています。メディアは一部にせよ大阪万博の予定通りの開催ができるかどうか疑問視しています。「万博協会」、政府、大阪府・市は楽観的なようです。

 

2005年の愛知万博の記録を調べることは、メディア、「万博協会」、政府、大阪府・市が調べれば分かることです。

(7AM、以下コメント追記:メディア、「万博協会」関係者双方に言えることですが、トップに近い「有能」な人は自分が人一倍、働いて、部下に的確な指示を出します。「丸投げ」は誰でもできます。「口」だけ動かすのは仕事ではありません。人に使われた経験のない人はダメです。建設工事で「モノ」を実際に動かすのは「ヒト」の手足です。「口」では「モノ」は動きません。)

 

愛・地球博のパンフレット と「万博学」① (11/9) から再掲

パンフレットはA4×4枚が両面印刷されています。発行は財団法人 2005年国際博覧会協会、発行は2004年10月でした。

冷凍マンモス」が目玉でした。長久手会場の面積は158㌶、瀬戸会場の面積は15㌶でした。「愛・地球博記念公園」に2022年、ジブリパークが建設されました。

 

左ページ中央には「冷凍マンモス」、右下には「サツキとメイの家」のイラスト、右ページは「グローバル・コモン」(外国館)のイラスト、「愛・地球広場」、「EXPOドーム」「EXPOホール」のイラストがあります。

 

1970年の大阪万博には1度行きました。「愛・地球博」には行っていないので、手元にあるのはこのパンフレットだけです。大阪府民なので、2025大阪万博には関心があります。

 

2025大阪万博の問題としては、建設費の「上振れ」と特に外国政府のパビリオン建設の遅れがあります。会場の夢洲そのものについては、①埋立地で軟弱地盤、②道路のアクセスが「夢舞大橋」と「夢咲トンネル」の2カ所、③電気、上下水道等のインフラが未整備等の問題があります。

(9:30AM、追記)

失われた20年:(藤本壮介氏… ⑩の改題)(3/11) から抜粋

愛知万博では3人の総合プロデューサーがいました。内、2人は1970年大阪万博からの運営経験がありました。文化に詳しい、西洋歴史学者の故・木村尚三郎氏もおられました。大阪万博では総合プロデューサーを開かないでアドバイザーばかりです。万国博覧会は「文化事業」です。「文化」に対する豊富な知見のある見識のある方はには少ないように見受けられます。

3人の総合プロデューサーは亡くなられましたが、当時、現役だった中村利雄事務総長(1946-)はご存命です。故・豊田章一郎会長、神田真秋・前愛知県知事(1951-)は3人とも愛知県生まれでした。1970大阪万博の立役者の1人の故・堺屋太一氏は大阪府大阪市出身で、一浪中に建築設計事務所でアルバイトの経験ががあり、建築には半ば玄人でした。また、故・梅棹忠夫氏(1920-2010、人類学者、民俗学者)も協力されました。

 

私は、今回の大阪万博には「理念」を具現化する「人財」が見当たらないように感じます。

 

7回目から書き出しと途中