死亡者が減らないと「収束」ではない!!(9月18日) を書いてから1週間後の状況の加筆です。

 

新型コロナの感染者数は8月20日前後にピークアウトしました。下の表は全国と1都3県(東京都神奈川県埼玉県千葉県)と大阪府の月別の死亡者数です。私は大阪府在住です。4月〜6月は全国最多の死亡者数で現在でも大阪府はワーストワンで忸怩たる思いです。

 

黄色が全国最多です。7月以降は東京都がワーストワンです。1都3県の死亡者数は月別では2番目か3番目に多い月になるでしょう

 

 

ある程度、感染者が出ていても、そして重症者死亡者が出ても社会経済活動を進めるには社会的なコンセンサスが必要です。

 

根拠が明確ではない楽観論で社会経済活動を再開すると再び感染者数は増加します。下のグラフは「抗体カクテル療法」が認可された7月19日以降の重症者数死亡者数との相関です。9月25日の重症者数は1185人、死亡者数(報告ベース)は33人でした。散布図で、8/18-31、9/1-14、9/15-を色分けして赤、紫、橙にしています。何やら、経済学の「景気循環」の図のような振る舞いをしているように見えます。

 

私は新型コロナの感染状況は「自然現象」ではなく、「社会現象」だと考えています。その意味では経済学の「景気循環」(在庫の積み上がりと解消)と比較するのも一案だと思います。下の散布図に「許容範囲」として重症者数が千人以下、死亡者数が30人以下を緑の破線で示しました。重症者が減れば、不幸にして死亡する人は減ります。

 

 

 

横軸は重症者数、縦軸は死亡者数です。重症者数死亡者数には「正の相関」が認められます。重症者数は9月8日が2211人で最多でした。25日は1185人でした。死亡者数は9月8日に89人でした。

 

8月14日は1521人の重症者数で18人の死亡者数、8月15日は1563人の重症者数で10人の死亡者数でした。「感染者数が減った、重症者数も減った」と言うのではなく、冷静な議論が必要です。少なくとも30人前後までは下げなければ社会経済活動を始めるのは時期尚早でしょう。

 

現在の状況としてまとめました。重症者死亡者もゼロにはできません。最後は政治判断になるのでしょう。安易に『収束している』と政治家が発言するのは問題です。感染者数が減れば「収束」ではありません。

 

「第5波」では東京都死亡者数が最も多く、また、1都3県の死亡者数は全国の5割を超えています。東京都は過去9カ月での3番目に多い死亡者数です。肺に水が溜まる普通の肺炎では1〜2週間、入院することはあっても死亡することはありません。厚生労働省はHER-SYSで管理できているはずなので、国内で必要とされる病床数はシミュレーションできないのでしょうか?年代、診断日、死亡までの経過日数の3次元の座標で頭の中で散布図を考えています。年代によって何か差があるのか、診断日で違うのか考えています。何か差異があればブログに書きます。凡そ、入院時点で治療計画を立てるので「想定外」が起きるのかどうか分かるかもしれません。東京都は累積感染者数が国内トップですが、致死率は1%台でした。「第5波」では0.3%台です。

 

(2:40PM、追記)

「第3波」では重症者数が最多だったのは1月27日の1,024人、死亡者数が最多だったのは2月10日の121人でした。私は「第5波」で救急隊員、医療従事者は懸命に緊急搬送、医療していたことは評価すべきだと思います。「第4波」では近畿圏、特に大阪府、兵庫県の医療体制が逼迫して、死亡者数が突出しました(兵庫県では集計できなかった死亡者数を遡って208人の報告がありました)。

 

一体、政府は重症者数が何人までなら、集中治療専門医、看護師が手配できるのでしょうか?ドイツは昨年の春の段階で人口10万人当たりのICU数を増床しました(数は精査中)。また、集中治療専門医の数は人口当たりで日本の7倍です。

(※ 翁百合・日本総合研究所理事長の論説では人口10万人当たり33.9)

https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/okina/pdf/12153.pdf

 

(27日、追記)

私は医療従事者ではないので、医療機関の現状は分かりません。ただ、「ヒト細胞」の再生医療の最先端で患者への実証治験をした事業所の管理経験があり、ワクチンや治療薬の開発のハードルが高いことは分かります。

 

政治家の殆どは文系なので、アルコールランプを使った化学実験も遠い過去となっているのでしょう。また、親/兄弟の介護経験や実子の育児を経験したことのない頭でっかちでは、医療機関に視察しても意味がないでしょう。

 

緊急事態宣言は明日には解除を決めるようです。文系出身の政治家は「理が苦」、「数が苦」だけでなく、低位の大学出身者は勉強そのものが「勉が苦」だったのでしょう(要確認)。