昨年6月に何度か、「国家公務員試験」について書きました。

お役所のルール:「国家公務員試験(4)」(6月29日)

 

最近、国会中継をインターネットで見ていますが、所謂「キャリア官僚」=国家公務員試験総合職の質の低下が著しいです。公務員志望は不況時には高くなります。私が某お役所に入省した1975年は第一次オイルショック後でした。城山三郎の「官僚たちの夏」が単行本として出版された時期です。”ミスター通産省”と呼ばれた佐橋滋(1913〜1993)がモデルでした。重工業局長、企業局長、特許庁長官、事務次官を歴任し、日本復興のための保護主義政策を推進しました。退官後は天下りしませんでした。1996年にドラマ化され、中村敦夫が演じました。佐橋次官の部下に平松守彦・元大分県知事がおり、立命館アジア太平洋大学の別府市への誘致に尽力しました。

 

前回のブログを抜粋すると、

---(引用始まり)

今日(29日)、国家公務員試験総合職の合格発表がありました。

平成30年度国家公務員採用総合職試験の合格者発表(人事院のHP)

概要は、

大卒程度試験 (〔〕は昨年度)

 申込者数   17,428人 〔18,121人〕

 合格者数    1,158人 〔 1,254人〕
 倍  率      15.1倍 〔  14.5倍〕

 

---(引用終わり)

不況時には、優秀な学生が国家公務員を志望する傾向にあります。時期としては、

  • 1975年から数年間
  • バブル崩壊後の「就職氷河期時代」1993〜2005年

の2つの時期があると考えています。前川喜平・元文部科学次官は1979年入省、佐川宣寿・前国税庁長官は1982年入省、柳瀬唯夫・元総理秘書官は1984年入省です。明らかに好景気になった時はキャリア組の高級官僚も質が落ちると考えています。

 

概ね、本省の局長は50歳以上なので、逆算すると1990年前後のバブル景気の時代に入省しているので、やはり質は劣ります。上に書いた不況期に相当する生まれ年は、①1958年以前、②1970〜1982年となります。初入閣のK大臣は1959年生まれで1982年入省なので、質の落ちた時代ということになります。

 

衆参両院の予算委員会での「統計不正」問題についての厚労省の大臣、キャリア官僚の答弁は「ご飯論法」、「赤信号話法」です。東大法卒は法律は作れても、実は「算数」が不得意であることが明らかになりました。論理が破綻しているのも分かっていないようです。「霞が関文学」で論理を整えようとしていますが、

  1. 特別監察委員会の調査がおざなりであったことを認めること
  2. 明らかに、「統計法」違反なので、関係職員の処分
  3. 速やかに実質賃金のデータを公開すること
  4. 官邸の指示を明らかにすること

が再発防止策です。

 

今年の東京大学への高校別入学者を見ると、①卒業生数、②理三合格者数、③理一合格者数、④文一合格者数は

  • 開成:①401人、②10人、③81人、④29人
  • 麻布:①308人、②3人、③32人、④24人
  • 聖光:①231人、②2人、③29人、④18人
  • 灘:①219人、②20人、③30人、④10人

でした。私は基礎学力は、平均で見ると➁ > ③ > ④の順と考えています。医学部、薬学部、理学部、工学部は日本国内というよりも、海外の著名大学とのし烈な競争の世界にあります。私立の進学校の上位1〜3割は理三、理一とすると、文一を志望するのは平均的にはそれ以下となります。

 

中には、どうしても文一という受験生もいるのでしょうが、数学や物理が苦手、即ち、数式を扱うのが嫌いな「数が苦」の受験生が多いように考えています。高校生を対象とした「数学五輪」、「物理五輪」、「生物五輪」などで優秀な成績を収めれば、普通は医学部、理学部でしょう。

 

政治は今や「三流」ばかりです。良くするにはトップを替えるしかありません。私は、優秀な学生が霞が関の中央省庁を敬遠するのは自然だと考えています。金融関係で「フィンテック」を理解するには数学科の大学院修了程度の知識が必要です。

 

イノベーションには医学、薬学、理学、工学などの理系の知識が不可欠です。文一で司法試験の勉強をしていて「法案」は作れても、何の役にも立ちません。せめて、ノーベル賞級の科学分野の研究を阻害しないようにしてほしいと考えています。

(6PM、追記)

韓国の空港で逮捕されて、官房付に降格になった某省の課長は、東京の私立大学の M を出た47歳ということなので、1995年以降の入省となります。折角、国家公務員になったのに、全てを失いました。「働き方改革法」にも関係していたのでしょうか(要確認)。2001年の中央省庁の再編までは、旧大蔵省、旧自治省が人気のある省庁でした。

(11PM、追記)

佐川宣寿・前国税庁長官は1957年生まれ、東大経済学部卒で1982年に旧大蔵省入省、柳瀬唯夫・元総理秘書官は1961年生まれ、東大法卒で1984年に旧通商産業省入省です。やはり質が低下した時のキャリア官僚です。バブル絶頂期の経験があり、欲に目がくらんだのでしょう。

 

一方で小川淳也衆議院議員(立憲民主党)は1971年生まれ、東大法卒、1994年に旧自治省入省です。「就職氷河期」だったので、優秀な人材の1人なのでしょう。

(22日、追記)

最近まで、東京大学文一(入学定員:400名、多くは法学部進学)は文系ではトップとされてきました。国家公務員試験総合職採用試験でも、①東京大学、➁京都大学の不動の順位です。

 

ところが、2018年度入試では、文一の合格最低点が文二を下回りました。私の中学校の同級生で灘高に進学して東京大学文一に進学した人がいますが、私よりも成績は下でした。私は公立高校に進学しましたが、成績優秀者は理系が占めていました。安倍政権になってから中央省庁の没落、取りも直さず、キャリア官僚が「馬鹿」であることが明らかになってきました。

(22日、4PM追記)

表には殆ど出てこないので、イニシャルで首相官邸の I 総理秘書官について。1958年生まれ、東大法卒で1982年に旧通商産業省入省です。生まれ年+23年が入省年次になるので普通に考えると一浪か、国家公務員試験対応のための留年で1年ダブっています。不景気の時期ではない入省なので、平均的な国家公務員のレベルとしては「劣る」時代の入省です。普通、頭脳明晰であれば、ストレートですがよく分かりません。