「革新と革命」ポーランド共和国(Rzeczpospolita Polska) | 河内マサヤンのブログ

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ポーランドは中央ヨーロッパに位置し西と東の文化が往来する重要地点。そのため多くの外憂に曝されますが、苦難にあったが故に革新・革命的なものを生み出してきたのでした。

13世紀「モンゴル侵攻」ではワールシュタットの戦いをはじめ、壊滅的な打撃を受けましたが、ポーランドは強かにも敵から騎馬戦術や火器を取り入れます。火器はフス戦争におけるハンドカノンを始めとした銃器へ発展をとげ、騎馬戦術では『フサリア』と呼ばれる最強の騎兵を生み出しました。『フサリア』は独特な羽飾りを背負い『有翼衝撃重騎兵』とも呼ばれ、小数でも圧倒的多数を打ち負かす事が可能です。「オスマントルコ」による「第二次ウイーン包囲」では15万のトルコ軍に対し、ポーランドの『フサリア』3000騎が中央突撃を敢行しトルコ軍を敗走させ、「スウェーデン大洪水」と呼ばれたスウェーデンとの戦いにおいても10倍以上の敵を『フサリア』で打ち負かしています。「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデン王「グスタフアドルフ2世」が最も恐れたのはボヘミアの魔将「ヴァレンシュタイン」ではなく、ポーランドの軍人貴族「スタニスワフ・コニェツポルスキ」でした。

しかし国内外での度重なる戦争で国力は疲弊し、コストのかかる『フサリア』は衰退、遂に18世紀のポーランド分割により滅亡してしまいます。その後『ワルシャワ公国』『ポーランド立憲王国』などが建国されましたがフランスやロシアの衛星国にすぎず、真の独立国とは言えませんでした。第一次世界大戦後、遂に独立主権を持つ『ポーランド共和国(第二共和国)』が建国されたのも束の間、第二次世界大戦での『独・ソ・ポーランド侵攻』により占領されてしまいます。大戦後『ポーランド人民共和国』として独立しますが、実態はソ連の衛星国、ポーランドが真の独立国となるのは1989年『ポーランド共和国(第三共和国)』成立からでしょうか。

実に二世紀もの間、苦渋の期間が続きましたが、学術・文化面において革新・革命を起こす人物が現れます。

『マリア・キュリー(キュリー夫人)』は放射能の研究でノーベル物理学賞と化学賞を受賞しました。彼女の研究やアイデアは当時の物理・化学だけでなく21世紀の生物学・医学にまで影響を与えています。

❝ピアノの詩人❞『フレデリック・ショパン』は革新的なピアノ技法、そして繊細な感情表現によりピアノ音楽の新境地を拓きました。『革命』といえばショパンの練習曲集10‐12番、1831年ロシアのポーランド侵攻に対する怒りの感情を表現した作品と言われています。

今回、地図にはめ込んだのは『ショパン』と女流作家『ジョルジュ・サンド』。彼女と寄り添った9年の間にも多くの情熱的傑作が生まれました。