「女性のチカラ」パラグアイ(Tetã Paraguái) | 河内マサヤンのブログ

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私が作成した創作花札を掲載しています。創作花札とは花札の形を借りた「書」「イラスト」「言葉遊び」が三位一体となった作品です。

バエシャパデカアル!

日本の裏側にあるパラグアイ。公用語はスペイン語とグアラニー語で、冒頭の「こんにちは」もグアラニー語です。パラグアイでは通貨をはじめサッカーのチーム名など「グアラニー」を冠した名前も多く、グアラニーの血はパラグアイ人としての「誇り」なのでしょう。そしてユニークなのは国旗、表と裏でデザインが異なります(他国で同様のケースとしてはサウジアラビアやモルドバのみ)。

さて、地図にはめ込んだのは「女性」ですが、近代のパラグアイは女性に支えられたといっても過言ではありません。というのも150年前のパラグアイは「女が木から降ってくる」と揶揄されるほど女性人口比率が高くじつに8割以上と言われました。世界には女性だけの部族「アマゾネス」や日本にも「女護島(八丈島や与那国島など)」といった伝説はありますが、パラグアイの場合は悲しく凄惨な歴史が起因しています。

19世紀初めの南米はスペイン・ポルトガルから独立を勝ち取ったものの、政治経済的に混乱し、領土問題で互いに争う状況が続いていました。そんな中でパラグアイはフランシス博士、カルロス・ロペスと強権的独裁者が続きましたが土地国有化、保護貿易の促進、鉄道敷設、義務教育など先進的かつ合理的な政策を行い「盗人や飢えた者を全く見かけない」と言われるほど安定していたのです。また外圧に対抗するため強力な軍隊も組織しました。

そんな成功国パラグアイを隣国のブラジル帝国とアルゼンチン、そして南米経済を牛耳っていたイギリスが敵視するようになります。カルロス・ロペスが死去し、息子のソラーノが大統領に就任しましたが、隣国ウルグアイの内紛介入をきっかけに、1864年ついにブラジルおよびアルゼンチン相手に開戦してしまいます。当初ソラーノはアルゼンチンの反体制派とウルグアイ政府を引入れブラジルを叩こうとしていましたが、上手くいかずさらにはウルグアイも敵に回り三方から攻められてしまいました。グアラニーの勇敢な血を引くパラグアイ軍は全滅するまで戦いましたが、首都アスンションは陥落、ソラーノも老人子供中心の兵を率いて戦いましたが、1870年包囲され戦死しました。

この戦争でパラグアイは甚大な被害を受け50万人以上いた人口は20万人程度に激減し、成人男性に至っては人口の9割を失ってしまいました。さらに領土の4分の1を割譲し、発展していた工場や公有地のほとんどは海外に奪われ、保護貿易で潤っていた経済も完全に停止してしまいました。そんなどん底の国に残されたのがパラグアイの女性たちです。夫や父を亡くし絶望の中、国を支えてきたのでした。実は本日2月24日は「パラグアイ女性の日」で女性への敬意と感謝を表した記念日なのです。更にパラグアイの2万グアラニー紙幣には特定人物ではなく「女性」が描かれています。

本作ではしっかり者のパラグアイ女性を描きました。忙しい仕事の合間にマテ茶でほっと一息ですね。