河内マサヤンのブログ

河内マサヤンのブログ

私が作成した創作花札を掲載しています。創作花札とは花札の形を借りた「書」「イラスト」「言葉遊び」が三位一体となった作品です。

 

二年生のカー君が「センセー、きのうぼくなあふでづかい見てきた」と言った。

「ふでづかいって何や」と聞くと「八坂神社のふでづかいや」と答えた。

「ああ、筆塚か」と言うと、カー君はケゲンな顔をした。

この筆塚は私の両親が一年ほど前に寝屋川市の八坂神社に寄進したもので、子供にも読めるようにと父親が平仮名で「ふでづか」と書いた。

それからしばらくして立派な筆塚が完成し、厳かに筆供養がとり行われたが、恐らく平仮名で彫られた筆塚は他にはないだろう。

私は子供達には筆塚とは筆の神様で、古くなった筆をお供えすると、その神様が喜んで、字を上手にしてくださるのだと説明した。

カー君はふでづかだからふでづかいと思ったか、筆の神様だから筆使いだと思ったのだろう。

その神様は魔法使いのおばあさんのように大きな筆にまたがって空を飛んでいると思っていたのだろうか。


 

 

先日関西も梅雨入りしました。
アジサイと言えば六甲山。山全体で数万株とも言われるアジサイが咲き誇ります。
標高が高いため、街中よりも少し遅れて(6月中旬〜7月中旬頃)見頃を迎えるのが特徴です。
見どころは……
●神戸市立森林植物園
日本一のアジサイ園とも称される場所。幻のあじさいと呼ばれる「シチダンカ」をはじめ、約350種・5万株が森の中に広がります。
●六甲高山植物園
霧(ガス)に包まれた幻想的な雰囲気の中で、高山植物とともに咲く野生味あふれるアジサイが楽しめます。

実は、六甲山にこれほどアジサイが多いのには、「山の過去」と「土のヒミツ」が関係しています。
今でこそ緑豊かな六甲山ですが、実は明治時代初期までは、薪(まき)や炭の材料として木が伐採され、草木がほとんど生えていない「ハゲ山」でした。
そこから大がかりな植林計画が始まり、「傾斜地でも根をしっかり張り、水分を好む植物」として選ばれたのが、アジサイだったのです。私たちが今見ている美しい景色は、先人たちの努力の結晶なんですね。


 

グーテンターク!

ドイツ連邦共和国は、ヨーロッパのほぼ中央に位置しており、フランスやオーストリア、スイスなど、なんと9つの国と国境を接していること。まさにヨーロッパの交通や物流の要所となっている国です。
広さを日本と比較してみると、意外な共通点が見えてきます。

面積は日本の約9割の広さ、人口は8,400万人と日本と似ていますが、地形は大きく異なります。日本のように山だらけではなく、北側には広大な平野が広がり、南に行くほどアルプス山脈などの豊かな山岳地帯になっていきます。
また、ドイツには地震がほとんどありません。そのため、街中には築100年〜300年を超えるような古いレンガ造りの建物が今でも普通に残っており、おとぎ話のような美しい街並みを楽しめるのも魅力です。

経済はヨーロッパ最大の経済大国にして「マイスター精神」の国です。自動車産業では、フォルクスワーゲン、BMW、メルセデス・ベンツ、ポルシェといった世界的な高級車メーカーがズラリと並びます。さらに、精密機械や化学薬品、環境テクノロジーの分野でも世界をリードしています。
しかしオンオフのメリハリはしっかりしています。ドイツには「閉店法」という法律があり、原則として日曜・祝日はスーパー、デパート、ドラッグストアなどのショップがすべてお休みになります。買い出しは土曜日までに済ませるのが鉄則。日曜日は「家族や友人と静かに過ごす日」として、社会全体でしっかり休む文化が大切にされています。

 

今回はめ込んだのは「ドイツ兄さん」東西統一前の西ドイツだとモアイっぽいですね。

モジリアニはイタリアの有名な画家だが、私はモジリヤニだ。もじり屋なのだ。いろんな言葉をもじるのが大好き。パロディストだ。これからマサヤンのパロディーをご紹介しよう。

  • 〇われ思う、故にシャレあり(われ思う、故にわれあり デカルト)このエッセイ集の題はここから。

  • 〇祇園祭の鐘の声コンチキチンの響きあり(祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり 平家物語)花札京都篇に祇園祭の鉾を描いて、そこにこれを書いた。

  • 〇足袋(たび)かむやノラともならずうちのタマ(足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女)ノラとはイプセンの小説のヒロインの名で、自立した女性。久女は有名な女流俳人で、夫は絵の教師だった。これは久女の代表作。

  • 〇すぐき菜や大根に短し蕪(かぶ)に長し(帯に短したすきに長し)すぐき菜は京都の特産品で、短い大根のような形をしており、漬け物にする。すぐき漬けの風景は冬の京都の風物詩。

  • 〇馬耳東風吹かずベルリンの壁崩れ 一九八九年にベルリンの壁は崩壊し、東風は西風を圧倒しなかった。

  • 〇ボインジャー 私はアメリカの惑星探査機を長い間ボインジャーと思っていた。友人にボインジャーと言ったところ、友人は笑って「空を飛ぶのはボイジャー、ボインジャーというのはこれジャー」と言って胸に両手を当てて、ボインの格好をした。

  • 〇セーヌ川われらの恋の早さかな(ミラボー橋の下をセーヌ川は流れ われらの恋が流れる・・・ アポリネール「ミラボー橋」。流れゆく大根の葉の早さかな 高浜虚子)

  • 〇金は天下に余れども わがものならぬぞあわれなる せめて年末宝くじ はかなき夢を見るとせん(仏は常にいませども うつつならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ 梁塵秘抄)

  • 〇おそろしきサラの金利の高さかな(美しき沙羅の木の花朝咲きてその夕べには散りにけるかも 天田愚庵) 愚庵は明治の禅僧で歌人。清水次郎長の養子になり、次郎長の名を広めた。沙羅(サラまたはシャラ)の花は和名はナツツバキ。たった一日純白の花を咲かせて散る。

  • 〇衣ほす蝶よ花よとかぐや姫→衣ほす丁よ半よとかぐや姫(春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山 持統天皇)かご屋の娘(かぐや姫)が立て膝をついて丁半のばくちをしている図。私は小さい時、かぐや姫のことをかごや姫と言っていた。

 

 

「芭蕉布」という歌は一九六五年に発表されたが、沖縄女性の気高さと美しさが感じられ、私の最も好きな歌の一つだ。この歌を知ったのは大分後のことで、一九八〇年頃私の歌シリーズの一つとして、グループ展に発表した。画仙紙(35×67.5)に芭蕉の葉っぱを大きく描いて着色し、その中に「芭蕉布」の歌詞を書いた。そのころ「誰もいない海」や「津軽海峡冬景色」「菩提樹」などを書いたが、二、三十点出来たら個展を開いて、そこで出品した歌を歌ってもらおうと計画を立てたが、実現しなかった。

芭蕉布は沖縄の特産品で、糸芭蕉から取った繊維で織られた織物だ。沖縄住民の普段着から晴着まで広く愛されてきたが、大変な手間暇がかかり、織り手が少なくなって、入手が非常に困難で、今では数十万円から百万円もするそうだ。

ある時、私はこの芭蕉布の見本帖を古本屋で見付けたが値段を見てビックリ。五万円もしたのだ。買おうか買おまいか思案したが、結局あきらめた。芭蕉布の数センチ角の端切れが三十枚貼られていたが、今思うと買っておけばよかったと後悔している。私はつくづく目先の利かない人間なのだ。

 

 

アッサラーム・アライクム!

今回は『ヨルダン』です。アラビア半島の北西部に位置し、イスラエル、パレスチナ、シリア、イラク、サウジアラビアと国境を接しています。国土の約8割が砂漠や荒地という乾燥した気候ですが、緑豊かな渓谷も存在します。中東の要所にありながら、非常に治安が安定した親日国として知られています。アラビア半島ですが、原油などの天然資源には恵まれておらず、深刻な「水不足」に直面している国でもあります。そのため、主な産業はリン鉱石などの鉱業、製造業、そして歴史的な遺産を活かした観光業が経済の大きな柱となっています。また、国外(湾岸諸国など)で働くヨルダン人からの海外送金や、国際的な資金援助も国を支える重要な収入源です。

ヨルダンと言えば、イスラエルとの国境にまたがる「死海(しかい)」が有名ですね。面積は約600平方キロメートルで、日本の琵琶湖(約669平方キロメートル)よりほんの少し小さいくらいの大きさですが、最大の水深は約300mと非常に深く、塩湖としては世界一の深さを誇ります 。そして死海の水面は海抜マイナス約430mに位置しており、「地球上で最も低い陸地」にありますす。故に流れ出る川が無く、乾燥地帯と言うことも重なり、海水の約10倍、約30〜34%という塩分濃度になりました。浮力が非常に高く魔法のようにぷかぷかと水面に浮かび上がる「絶対に沈めない」湖なのです。

さて、今回はめ込んだのは世界的に有名な『ペトラ遺跡』です。名物の砂絵は、ガラス容器に色鮮やかな砂を少しずつ落としながら美しい模様を描いたもの。ヨルダンはパレスチナやシリアからの難民を多く受け入れてきた歴史があり、今も多くの子どもたちが厳しい生活環境や教育環境の中で暮らしています。

私は小さい頃から歌が大好きで、五、六歳の時には灰田勝彦や岡晴夫などを歌っていた。特に好きだったのは三橋美智也だった。ところが中学の音楽のY先生が沢山の歌を教えてくださり、クラシックに目覚めた。大学生の頃にはクラシックの他にタンゴやシャンソンも聴くようになり、「朝(あした)にミッチー(三橋美智也)を聴いて夕べにリストも可なり」という具合に幅広く何でも聴くようになった。
 四十歳の時に開いた「楽に寄す展」ではクラシックレコードのジャケットのデザインを始めバイオリンのオブジェやグランドピアノの蓋に字を彫って彩色したものなどを出品した。そしてその付属に小コンサートを開き、シューベルトの歌曲やショパンの曲などを演奏してもらった。最後に私自身がモーニングを着て指揮者よろしく「カラ指揮」と称して、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のレコードに合わせて指揮をした。しかし、いつの間にやら阿波踊りになってしまい、阿波踊りの踊子さん達も出てきて、会場の人を呆気に取らせてしまった。
 私は何故これほど音楽が好きなのか。それは音楽ほど楽で楽しいものはないからだ。何しろ寝転んで目をつぶって、力をも入れずに楽に楽しめるからだ。まさに音楽は道楽者の最たる道楽だ。寅さんじゃないけど、「音楽聴くには力はいらぬ、食べて寝ながら聴けばいいってネ」


 

 

篆刻というのは判子(はんこ)彫りのことだ。昔から文人達が愛好し今日では書道の一分野になっている。私は専門の篆刻家よりも文人の篆刻にひかれ、特にフランス文学者の鈴木信太郎がフランスの泥棒詩人ヴィヨンの訳詩集の奥付にヴィヨンの詩の一節を自ら刻した印を押したのを見て感銘をうけた。
 服部畔石(こうせき)は戦前の篆刻家で俳人でもあった。その著「篆刻字林」は有名だ。俳人としては「高潮」を主催し、「睡蓮に雨四五粒の水輪かな」は代表句。
 外国人が、日本人は誰でも詩を作ると感心していたが、日本人なら誰も指を折って俳句を作ったことはあるだろう。そして、芭蕉、蕪村、一茶の句は一つくらい誰でも知っている。私は芭蕉が好きで、五十歳の時、松尾芭蕉没後三百年記念として、京都で「芭蕉書展」を開き、芭蕉の作品ばかり百点を書いて個展を開いた。
 現代俳人の永田耕衣氏は絵や書も堪能で、「夢の世に葱(ねぎ)を作りて寂しさよ」が有名だ。神戸の大震災で被災され、寝屋川市の私の近くに避難して来られたが、会うことはかなわなかった。
 弟が中国旅行の土産だといって、美しい中国の書の切手をくれた。日本にはその当時、書の切手というものはなかったが、しばらくして芭蕉の奥の細道シリーズ(全40種)の美しい切手が発行され、次いで干支(えと)文字シリーズは十年以上も続いた。切手は男の子なら一度は集めたと思うが、私は船の切手を、五、六百種類集めて額に入れて楽しんだ。
 篆刻といい、俳句といい、切手といい、小世界に万物を包蔵し、喜びや悲しみをこめ、慰めを与えてくれる。なべて小さきものは愛おしきかな。

オラ!

北アメリカ南部のメキシコ(マサヤンはずっとメキシコは中米と思ったのですが)。太陽と情熱の国メキシコ。ユネスコ無形文化遺産にも登録された本場のタコスや、マヤ文明のチチェンイッツァといった巨大な遺跡、そして陽気な音楽が有名です。
スポーツではボクシングが盛んで、多くの伝説的なチャンピオンを輩出している「ボクシング大国」でもあります。街を歩けばどこからかマリアッチの調べが聞こえてくる……そんなカラフルでエネルギッシュな魅力が詰まった国です。

そんな明るいイメージの強いメキシコですが、実は古くから語り継がれている、少し切なくて怖い伝説があるのをご存知ですか?
それが、「ラ・ジョローナ(泣き女)」のお話です。
伝説によると、白いドレスを纏った長い黒髪の女性が、夜な夜な水辺に現れては「ああ、私の子供たちはどこ?」と泣き叫びながら彷徨っているといいます。
かつて愛する人に裏切られた悲しみから、自らの手で我が子を川に流してしまった女性。その罪の意識から、死後も霊となって子供を捜し続けている……という、メキシコでは子供のしつけに使われるほど有名な怪談です。

今回のはめ込みは「ラ・ジョローナ」をはめ込みました。マサヤンは子供を見つけて天に昇るラ・ジョローナを描きました。

 

 

一九八八年一月、あと三ヶ月に迫った廃止を前に、私ははじめて青函連絡船に乗りに行った。青森行きの寝台特急に乗り、青森から青函連絡船で函館に渡った。函館で一泊して次の日にまた連絡船に乗ったが、行きも帰りも摩周丸という優美な名前を持つ船だった。青森から車中一泊して大阪駅に着いたのは十時半頃だったが、そのまま高校の授業に間に合わせた。

一月といえば真冬。おまけに北国で、海の上ともなると寒いのなんの。けれども私は何度もデッキに出ては、小雪交じりの烈風で凍てつくような寒さに耐えながら、何回も、何回も「津軽海峡冬景色」を歌った。行く前に生徒たちに連絡船のデッキで「津軽海峡」を歌ってくると公言したからだ。「大阪発の夜行列車降りた時から青森駅は雪のなか・・・・」歌っている内に涙が流れてきた。残念ながら誰も聞いていなかったが、鴎が聴いていたかもしれない。

 

※これは昭和六十三年三月JR北海道函館支社発行の乗船記念感想文集「栄光の航跡青函連絡船」への投稿の一部。