子曰く、
已んぬるかな(やんぬるかな)。
吾未だ能くその過ちを見て
内に自ら訟むる(せむる)者を見ざるなり。
≪解説≫
孔子はおっしゃった。
「ああどうしようもないなあ!
私はまだ自分の犯した過ちに気付いて、
自責の念から己の非を悔(く)ゆる者を見たことがない」と。
人間は、
知って犯す過ちよりも、
知らずに犯してしまう過ちの方が
何倍も何倍も多い生きものなのです。
孔子がおっしゃっている
「自訟(じしょう)」とは
心の中で自分が犯した過ちを責めること、
つまり、知らずに犯してしまった過ちがなかったか?
あなたの内なる良心の呵責(裁判官)に問うてみて、
悔い改めなさい!ということですね。
人は誰でも過ちを犯すものですが、
「過ちて改めざる。之を過ちと云う」と孔子もおっしゃっています。
過ちに気付いたら、悔いて之を改める。
同じ過ちを繰り返さないように心を改めるのです。
これで罪は許されるんです。
いつ迄も過去の非を引きずってはいけないのです。
自己嫌悪に陥る人を見掛けます。
しかし、
これはあなた自身の魂を傷付けてしまうことになりますから。
≪文末≫
2500年という時間を経てもなお、
孔子に関する様々な書籍が読まれ続けているのには、
それだけの理由があると思います。
その孔子の言葉を、
その時々の自分の身に置き換えて考えてみるからこそ、
その時点での新しい意義が発見がある。
それはつまり、
自分の為に活かすからこそ
役に立つ「活学」となるのであります。
その思想の根底には、
”礼”と”仁”を重んじる孔子の考えは発展し、
最後に”中庸”を加えてさらに発展し、
ある意味不変であり、
どれだけ科学技術が進歩した
先進社会になったとしても、
円滑な人間関係を築く上で
脈々と受け継がれている思想だと思うのです。
論語を読む時は、
孔子が対座していて、
その発した言葉の状況や雰囲気を感じ取り、
その言葉の趣旨や意図、目的などを
拝察しながら、楽しみながら触れるようにしています。
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