皆さん、おはよう御座います。


そう、今日という日は二度と来ない。


そう思うと1日を大切に生きることが出来ますね。


でも1日1日が不確実なことを認識すると、もっと1日という変化を受け入れることが出来ます。


実際は1日の変化は、地球という自転軸によって決められ、1年という変化は地球の太陽を回る周期で決められ(太陰暦の定義はよくわかりませんが)、それが100年とかもっと長いスパンで考えると、もっと違う変化を楽しめるんです。


そう思うと一生の間に感じられる変化って、宇宙そのものですよね。


昔は宇宙は膨張したり収縮したりしていると言われてましたが、現在の観測結果では限りなく膨張してるらしいです。


そうすると、僕らの生きてる定義も、変わって来ませんか?


僕は人の一生なんて、捉え方次第でどうにでも変わると思ってます。自分の中で限界を定めちゃうと、それ以上成長しないと思ってます。


そういう自分も一生を暦で推測ってはいるのですが、実際は宇宙の時間の尺度なんて曖昧なもので、人が脳年齢40歳だの80歳だの言ってる先から、ビッグバンが起きてからの宇宙の変化は138億光年だの言って、その痕跡をハッブル宇宙望遠鏡とかで観測してるわけです。


どこかおかしくないですか?


人間の定義もさることながら、僕ら生きていること自体、限りない変化の中で生きているわけです。


そんなこんなで、今年の4月に僕は本を出しました。「サナトリウム」(文芸社)です。


思えば2年前、コロナ禍の中で、出版社に直接電話かけて、「経済に関する小説を書きたいだけど、本にするには何字くらい書けばいいんだ?」って聞いたら、「あんまり長くなるとくどいから、6万字くらいにしてくれ」と言われて、3か月で6万字に収めて仕上げた。


自分ではいいものが書けたと思っています。


多くの場合、自分が正しいと思っていること自体が、ミスアンダースタンディングしていると思っています。


そういう誤解から生まれる絶望の定義とか、絶望とは何なのか?という問いに答え、人間のあるべき姿に応えているつもりです。


まず一読をお願いします。


今次回作にもトライして、来年中には刊行したいと思っていますので、よろしくお願いします🥺