[街並構成]

十数戸が街道左右に並ぶ50mほどの街道である。平屋の亭仔脚で統一され、台湾様式の伝統的店舗街の様相を留める。窓に緑瑠璃の煉瓦を用い、門のたたきの石は大陸のものといわれる。紅磚アーチで歩道を覆うが、アーチにキーストーンがあり、日本統治期以降のアーケードである。店舗は黄利盛商号など、完全な保存がなされているものもあるが、崩落が激しく、危楼や壁面のみ残存する建築物が多い。
アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

38.同興老街 (苗栗県後龍鎮同興路)

(旧行政区画:新竹州竹南郡後龍庄)

[沿革]

台湾鉄路局の縦貫線海線の龍港駅の近く。龍津里の同興巷を指す。後龍渓の河口の港町公司寮よりわずかに北側にある。大陸との船便の往来で賑わった港であるが、日本統治期終結後に往来が禁止され、泥砂の堆積でも港湾機能を失い、没落する。同興老街は、港街の出入りから商店・旅館で賑わった通りである。
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〈継述堂〉

詹氏の祠堂である。詹氏は卓蘭最大の姓氏で、潮州府饒平県を祖籍とする。光緒十一年(1885)創建であるが、大震災後再建されたため、和風の唐破風屋根の建築となっており、類例が他に少ない突出した特徴の祠堂である。神社の狛犬貸風にブタ犬状の奇妙な瑞獣が左右に建てられている。

〈智和医院〉

木造騎楼であるが、中山路と民族路の交差点にあり、転角楼(角店・かどみせ)形式であり、珍しく、卓蘭鎮を代表する昭和建築である。寄せ棟屋根に下見板壁の二階屋と、一階エントランスの正面角柱の内部に4本の古典様式の円柱と柱形をもつ。

[街並構成]

中正路と中山路の交差点を中心に老街が遺る。日本統治初期の『台湾堡図』では、現在の中正路と中山路南段を主街道としてT字の街道をなしている。中山路北段はまだ存在していない。中正路西段と中山路北段の区画内には、峩崙廟(中山路8110)があり、中正路はその門前街である。峩崙廟は広東系住民が台湾でよく祭祀する三山国王を祭祀している。道光三年(1823)の創建で、昭和二年(1926)再建されているが、昭和十年(1935)の大地震でも震源に近く、損壊の上、市街とともに復興再建されている(「震災復興改修峩崙廟碑」が殿内にある)1976年にも再建されている。このため市街の昭和年代の建築は、昭和十年の震災以降に再建された二階建木楼が多い。二階は下見板壁の木造であるが、柱をコンクリート化している。中正路では木楼街が連続した商店街としてよく残存している。中山路は北側の鎮公所附近から、南側の智和医院にかけて昭和期の建築物が遺る。民族路と成功路の交差点にある老庄大樹伯公祠は、ガジュマルの老樹の下に、広東系住民の祭祀する土地神である伯公を祭祀しているが、道光年間の創建である。

HSU氏のHPHsu的部落格』「城里雑記─88. 卓蘭的老樹 () 老榕樹 & 街区閑」に詳しい。http://tw.myblog.yahoo.com/hsu-042/article?mid=10896