ハロウィン特集・奇妙な狛ブタイヌがいる台日折衷様式の祠堂
卓蘭鎮継述堂の狛ブタイヌ
(台湾苗栗県卓蘭鎮新栄里16号継述堂)            





    昨日はハロウィンでした。FB「狛犬捜し隊」には、こちらの記事を載せればよかったと思いましたが、一日遅れで投稿します。謎の狛ブタイヌです。狛ブタイヌというのも、ハロウィンらしいのですが、向かって左側の狛ブタイヌさまは、カボチャらしき置物が、脇に置いてあるので、ハロウィンなのです。向かって右側の狛ブタイヌさまは、リンゴが置いてあって、西欧のこぶたの丸焼きみたいです。



台湾中部苗栗県の山間部にある卓蘭鎮、木造騎楼街が魅力的です。住民は広東客属系住民が多い街です(台湾での広東系住民は、いわゆる「客家」「客属」を指します)。豊原駅から、バスで1時間半の山間部にあります。



    この狛ブタは、継述堂(けいじゅつどう)という詹(漢語:チャン・せん)氏の祠堂の門柱におります。



   詹氏は卓蘭最大の姓氏で、潮州府饒平県(ぎょうへいけん)を祖籍とします。





    

    正直申しまして、よく分かりません。ブタは入っているのはたしかです。


諸星大二郎氏のマンガに出てくる「犬土」


諸星大二郎のマンガに出てくる「犬土」(げんど)によく似ていて、ブタイヌの姿勢です(諸星大二郎1989『異界録・諸怪志異(一)』双葉社収録「犬土」)。不気味ではありますが、もちろんよい意味で置かれているはずです。

この他に、金獅もおり、お母さん獅子と仔獅がともに見上げる微笑ましい姿勢です。


台日折衷様式の本堂


本堂左右にも台湾・福建南部タイプの石獅がおられます。



こういうの「瓜桶」といいます。擡梁を繋ぐ大型部材です。

継述堂は、光緒11年(1885)の創建で、3回ほどすでに改築されていますが、至今已有約120年歷史の歴史があります。昭和10(1935)年4月の台湾中部大地震で、門楼が崩壊するなどの被害があり、そのときに「志を継ぎ、業を述べる」の意味で、継述堂という堂号がつけられています。




建築の特徴としては、日本の寺社建築同様の入母屋和瓦屋根に、台湾様式の廟堂建築の堂屋との折衷様式であるところに最大の特徴があります。卓蘭鎮を代表する台湾客属系建築といえます。


智和医院


参考文献:台湾文化資産局HP

http://www.boch.gov.tw/boch/frontsite/cultureassets/caseBasicInfoAction.do?method=doViewCaseBasicInfo&caseId=KA09905000013&version=1&assetsClassifyId=1.2

図版説明:図1.図2.図3.図4.図5.図6.図7.図8.図9.図10.図11.図12.






[追記:卓蘭鎮の沿革]



  卓蘭鎮の土地は、大安渓の上流にあり、山地と丘陵に囲まれながら平原をもつ。もとタイヤル族の土地であるが、現在は漢族の族群の内、広東系族群(いわゆる「客家」)が多い。1960年代の人口構成では、広東系訳77%、閩南系約21%の人口構成である。



  清代の雍正元年(1723)の彰化県と淡水庁の設置で淡水庁の管轄地となるが、この年彰化の張万振がタイヤル族の首領と契約して大甲渓上流部の開墾を進めた。卓蘭では大安渓の支流老庄渓両岸に平地原住民の移住があり、従来のタイヤル族に替わっている。平地原住民パサイ族(巴宰族)族(バゼッヘ族〈巴則海族〉ともいう)あるいは平地原住民バハス族(巴哈斯族)の巴登社(Paden)の居住地といわれ、「達蘭」(Tarlen)と呼ばれていたのが、漢人入植後、「達連青」と音訳され、雍正年間には契約文書に「搭連」と記され、広東系住民の発音では「打蘭」(ダーラン)といい、漳州・泉州系の住民が「打蘭」を「罩蘭」(タンラン)の二字を当ててよみ、「罩蘭」を雅名化して「卓蘭」とした。



  乾隆三十七年(1772)には広東系の劉啓東が大甲渓上流で開墾を進めているが、卓蘭でも、嘉慶年間(1796-1820)に広東系の江福龍(江復隆とも、読音は同じ)が、現在の東勢(旧名東勢角)から入植している。卓蘭東北部のタイヤル族との紛糾が絶えず、後に廖似寧に土地を譲り、廖似寧はタイヤル族との共存を図り、講和の上「上新庄」を交易地として交易を進めて開墾の基礎を築いている。なお、鎮内の老庄里が最初の開墾地で、乾隆四十年(1775)が現在に続く入植の最初とされている。当時は台中県の属地であったが、光緒四年(1878)に、淡水庁が淡水県と新竹県に分けられて、新竹県の属地になる。



  しかし当時も原住民の間に紛糾が絶えず、光緒十年(1884)には、大きな衝突が両者との間に発生し、翌年には林朝棟(霧峰林家出身)率いる一万人の清軍(湖南軍)が台湾巡撫の劉銘伝によって派遣され、3年後に原住民側が鎮圧されている。1956年に清軍の戦死者は鎮市街東郊の軍民廟に祭祀され、廟背後に十数基の墓碑が集められている。
 


   清末には台湾府台湾県に属し、日本統治期には明治三十四年(1901)以来苗栗庁に属した。明治四十三年(1910)に苗栗庁の撤廃とともに新設された苗栗支庁下に罩蘭区を置いている。大正九年(1920)以降は罩蘭庄となる。大戦末期の昭和十九年(1944)末に現在の鎮市街北部郊外に内陸の秘密飛行場として卓蘭飛行場が造成されている(沿革については卓蘭鎮公所HPを参照した)。http://www.miaoli.gov.tw/jhuolan_township/normalSingle.pHP?forewordTypeID=0&frontTitleMenuID=2050