中秋節の御大祭(その1)
─うさぎ神さま「兎児爺」(トゥーイェー)ご縁起





   今日旧暦八月十五日は、秘密宗教うさぎ教の御大祭です。つまり中国の中秋節(大理漢語:ツンチュウチィエ・ペー族語:ピャーワーズームー)です。うさぎ教は、漢語では「白兎教」(漢語:バイトゥーチャオ)といいます。


うさぎ神さま「兎児爺」ご神像と「月光」のお札


うさぎ神さま「兎児爺」ご神像と、雲南ハム月餅(雲腿月餅)



  朝から祭式を復活させるべく準備しました。
 


うさぎ神さまの月宮のご所在

  

  うさぎ教のご本尊は、うさぎ神さまで、漢語で「兎児爺」(北京漢語:トゥーイエ)とおっしゃいます。「爺」(イエ)は、「おじいさん」の意味が転じて、高貴な男性の尊称として使います。
 

  うさぎ神さまは、北京や中国北方で、伝染病が起きたとき、地上に降りて人々を治療してあげました。本来は女神のようです。だからじつは「おばあさん」から転じて高貴な女性の尊称を表す「奶奶」(ナイナイ)を使い「兎奶奶」(トゥーナイナイ)と呼ぶ方がいいのですが、武人の恰好なので、「兎児爺」でも、まあ、宜しいとされています。





  うさぎ神さまは人々が御礼をしようとしても、御礼は受け取らず、服を借りていろいろな服装をして姿を借り、いそいそと患者を回り治療に専念するだけでした。その範囲は山東省や河北省などにも及びました。





  うさぎ神さまは、いつもは月の中の月宮におわして、不老不死の霊薬を杵で突いておられて、この霊薬はかぐやひめさまも地上に御礼にあげたこともありましたが、富士山で燃やされてしまいました。中国北方の伝染病のときは、大量のストックであまたの人々の命を助けになられたのでした。



  

  それでこのうさぎ神さまは、仏様として蓮華座に座ったありがたい姿で、明代から北京の人々を中心に尊奉(そんぽう)されております。しかし最近は、魔除けのために虎や黒虎(こくこ)に騎った女武者の姿でご神像をお造りもうしあげることが多いです。



  これは伝染病の治療のために、虎や獅子の背を借りてまで、病人のあいだじゅうを駆け回られたからといわれております。そのため、虎に騎っておられるご神像が多くみられるのです。


祭卓を中庭に出します。お月さまが出ています



  うさぎ神さまのもとには、たくさんのうさぎたちがいて、地上に降りては人間と一緒に修行をします。やがて人間たちと苦楽をともにしつつ、人間たちの数々の行いを見届けてから、功成って、昇仙してお月さまに帰っていきます。うさぎの故郷は、月なのです。


お月さまに向かってお祈りをするミーミー。あとで訊くと、ともだちがほしいと御願いしたそうです。













  うさぎ教では、それにあやかって、不老不死を目指すということが教義の柱のひとつとなっています。








  うさぎ教のうさぎ神さまは、じつはお仕えしている女神さまがいて、月の宮殿の嫦娥(じょうが)さまです。北京の人々が伝染病で苦しんでいるとき、人間を救うべく、うさぎ神さまを派遣したのが、この月の女神の嫦娥さまです。月府太陰星君(げっぷたいいんせいくん)ともお呼びしております。






  太陽のお宮にまします日府太陽星君(げっぷたいようせいくん)とともに祭祀申し上げることも御座います。こちらは三足烏(さんぞくう)さまと申す三本脚のカラスさまをしたがえておられて、太陽の黒点がそのカラスさまに当たられます。八咫烏(やたがらす)さまもその仲間であらせられます。



   うさぎ教のお札では、月にまします嫦娥さまが月にあるという桂樹(けいじゅ)の下に微笑まれ、その横でうさぎさまが霊薬を杵で突かれているお札がごさいます。それを今宵に紙銭(冥界祭祀用模造銭・神さまに対して燃やす模造銭である「黄紙」〈大理漢語:ホアンツー〉を使う)と金銀紙(大理漢語:チンインツー・金塊・銀塊を表す)ともにお焼き申し上げます。

巍山彝族回族自治県南詔鎮の「月光」のお札

   古代の神話にもとづいて、三本脚のがまを描くお札もあります(大理市太和村のペー族のお札)。

月府太陰(星君)お札(中華民国期・大理市太和村)