渡良瀬川が市中を流れる足利市はもと中世の足利招庄(荘)で、清和源氏義家流・足利氏の発祥の地です。江戸時代は戸田家8代を藩主とする足利藩がありました。佐野・桐生・太田・館林各市に隣接した両毛地域の代表的都市です。

アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

足利東映は地方都市の映画館の雰囲気をよく留めています

R-D1s+SWF15mm/F4.5
足利学校はフランシスコ・ザビエルも1549年(天文三)「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」として紹介し、当時学徒3000人を数えたとされています。

アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

路地裏に閻王堂がありました

R-D1s+SWF15mm/F4.5


足利市は織物の名産地で、18世紀以降高機が普及し、18世紀末から、織屋・買継商が多数出て繁栄します。


アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

足利銘仙を着た娘さん(大門いしだたみ通り

R-D1s+SWF15mm/F4.5

フランス製ジャガード紋織機を導入した豪商三代目木村半兵衛などの活躍で、明治以降戦前・戦後まで織物工業が主要産業でした。高級絹織物を主要製品とする桐生に対して、足利は絹綿交織物を主要生産物とし、庶民向け商品を主に生産していました。木村幹衛氏のお父様もオパール加工の発明者ということです(プリントする際に糊の中に酸を入れ、 生地にプリント→蒸し→水洗を行い、繊維の一部を溶かす加工法。夏物に多用される)。


東武鉄道福居駅近くには、トチセン(旧足利織物会社)のギザギザ赤れんがの工場(大正時代の海外輸出品などを生産)が遺ります。両毛地域の代表的な織物工場の遺構がみられます。