福利鎮はやはり河畔の美しさに見るべきものがあります。

漓江の埠頭に降りる扇形の階段は、福利鎮の名を記した門楼が建っています。これが古街の要となって、扇形の半円を描いて直進すれば画扇の街、右手に曲がれば河沿いの街道になります。

アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

門楼

中央を卵石、両端を御影石と、これらは最近新しくしたものですが、街路模様も工夫がみられます。最近再建された大光亭の八角屋根を過ぎ、接龍橋のアーチ橋を過ぎ、二階屋の門楼を潜ると、天后宮があり、乾隆五十九年に再建、現在のものは道光初年の造営になる福利鎮の古刹です。

アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

手前忠孝祠、向こうが天后宮

航海安全の女神媽祖を祭祀する天后宮が内陸部にあるのは、湖南省などにも例があります。河川の航海安全を祈願したものです。

アジアの街並/中国古鎮・日本昔町─川野明正の研究室

その隣は忠孝祠があり穎考叔を祭祀しています。手前の門楼には、「孝尊穎公・忠紀鵬挙とある鵬挙とは、岳飛の字ですので、岳飛も祭祀したのでしょう。


穎考叔は鄭の荘公から出された肉の羮に手をつけず、持ち帰って母に食べさせようとして、折しも母と仲違いをしていた荘公が反省したという孝行の人として知られます。この対聯もこの故事を指したものです。「二十四孝」に数えられる一人です。公鄭国の英雄で、許国を鄭・斉・魯で討伐する際、戦車を公孫閼と争って先に乗り、敵城への一番乗りを果たしますが、このとき、恨みを買った公孫閼に弓で射かけられて殺されてしまいました。