桂林市正陽路東巷-「三元及第」について
桂林市内はあまりみる時間もありませんが、明代の王府である黄色の靖江王府だけは見学しました。「榜眼及第」と、科挙の状元の次点の合格記念の題刻がある石門を潜り、かつての王府がじつは広西師範大学のキャンパスであることを、50元の入場料を払って確認しました。
「三元及第」と大書してある王城の城門を出ます。三元及第とは、なんのことかといえば、郷試・会試・殿試いずれも首位合格のことで、歴史的には15人しかおらず、しかも清代には2人しかいません。
桂林市正陽路東巷
1人は、銭啓で江蘇省蘇州の人、そしてもう1人が、陳継昌(1791-1820・字は哲臣)、広西省臨桂(桂林)の人、嘉慶二十五年(1820)に状元で、山西、直隷、甘粛、江寧布政使を歴任、最後には江蘇巡撫となっています。だから広西は科挙の受験者が少なく、競争率が低いとはいえ、決して侮れない実力者揃いであったのです。この点同じ辺境でも雲南省とは大部事情が異なります。

