雲南の漢族の移民は、明代初期の移民政策によって本格的に行われるのですが、そうした雲南漢族の歴史を知るにも典型的な村です。
張氏宗祠の入り口。村の広場にあります
この村は主には張姓の人たちが居住していますが、始祖張福は江西省饒州府の人です。鄱陽湖のほとり、鄱陽県許義寨の出身であることも家譜から明らかです。明初の洪武年間に交易のためにこの地に来てやがて団山の丘に定住するのです。その意味では雲南に多かった軍屯(屯田兵たちの村)ではなく、商屯のはしりといえる村ですので、独特の歴史がある村なのです。
団山村の家の門扉にはよく「百忍家風」の四文字か左右の門扉に書かれています。これは「百忍伝家」ともいい、張姓の家のモットーなのです。この種の家庭の住居に掲げられるその姓を象徴した称号を「堂号」といいます。張家のこの堂号は、唐代に張公藝という人物が、高宗よりその徳を讃えて顕彰されたことによるもので、これを各地の張家が張家を象徴する堂号としたものです。
張家祠堂の門扉。左右の柱に出自が詳しく書いてあります。
この種の統治者から与えられる顕彰は、義夫・節婦・賢人などに与えられ、旌表いって、よく皇帝直筆の匾額を下されたり、牌坊の建立を許されたりなどの形をとります。雲南西部でもこの四字は中庭に建てられた影壁に大書されていますが、この字を記すのはもちろん張家のみです。たとえば、孟姓は、孟子の母が孟子のために3回も引っ越したという「孟母三遷」の故事に従って、「三遷堂」を堂号とします。
村の南門
麟徳二年(665年)十月、唐の高宗が泰山の封禅のために寿張県(中国河南省濮陽市台前県)を通ったときに、九世同居の大家族であった張公藝の邸宅を訪ね、同居の要諦を訊ねました。親子・兄弟・夫婦・嫂と弟嫁など、あらゆる家庭内の人間関係と生活に百もの忍耐が必要であると応え、張公藝に酔郷侯という爵位を与え、「百忍義門」の四文字の匾額を賜ったことから、中国国内外あらゆる張氏の堂号となったものです。他の張家の祠堂と同じく、団山村の張家祠堂にも、「百忍家風」の匾額を掲げています。



