[古街の邸宅]


1930年代は、魯史鎮の発展に伴い、瓦葺きの大邸宅が各所に建設されました。いまでも鎮内にこれらの邸宅は残っていて、駱英才の駱家大院(楼梯街)、地元の望族楽家の楽家大院(上平街)など字家大院、甘家大院などがあります(ただし前記二宅はかんぬきが掛かっていて私は内部を見学してはいません)。

私想と日々─中国文化研究者・川野明正の筆記帳

甘家大院主堂楼



魯史の民居は、中庭を囲んで主屋を中心に四つの建物・三つの建物をもつ合院式(囲み屋)の民居が主です。この形式は中国でもっとも多い民居の形式で、雲南でも昆明郊外や大理・麗江などが合院式です。しかしわけても魯史の民居は、庭園を重視しており、建物裏にも庭を設けているところが独特の様式となっています。


甘家大院

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甘家大院門庁


甘院大院は、黒恵江の犀牛渡へと向かう東柵門外の街道近くの石段を下りたところにあり、場所がわかりにくく、楼梯街の劉作明老人にわざわざ案内していただきました。

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甘家大院の院子(中庭)より主堂楼をみる

地元の小学校長で、中華民国二十年の魯史街の街巷設計を立てた甘遇春の家です。甘遇春の孫の奥様に家を見せていただきました。甘家は867㎡で、面積に、7つの建物があり、33の部屋があるそうです。一進七井といい、南に二階建ての主堂楼、北に同じく二階建ての庁房楼を設けています。


東西は、中庭を中心に門楼の前と住宅背後にそれぞれ影壁を設けており(「前影壁」「後影壁」)、風水上の気が直接当たることを避けています。大理では、東向きから来る気を避けて東側のみ影壁を置き(多くは「紫気東来」などと東方の瑞気を迎える意を書くなどします)、あるいは住居入り口のすぐ後ろに影壁を設けますが、前後に置く工夫は珍しいものです。


影壁と入り口の門庁(住宅前後に二ヶ所「前門庁」「後門庁」)の間に庭園を設け、門庁と影壁の間も庭園で、前花園と後花園があり、後花園は、大きくスペースをとっています。大きな杏の木は春には甘い香りを放って家人を楽しませたでしょう。

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後花園より後門庁

ロの字型に構成された四合院の建築物の裏手四隅にも庭園を設け、それと中庭と合わせて7カ所の庭園を持ちます。中庭から四隅の「小院」(小庭)へは、中庭側に突き出すように煉瓦積みで遮蔽されていて、小庭の「花池」(花壇)のスペースを確保していました。


前影壁は文化大革命の際、紅衛兵により半壊しましたが、後影壁は完全に残っており、影壁には「存乎一心」、上面に三つの蘭を描いた画面があり、左右に「勉事」「慎言」と書いています。中心には「臥薪嘗胆」と書き、教育にたゆまぬ努力を傾けた甘遇春ならではの親筆です。誠に代々教師である「香書門第」(読書人家庭)ならではの甘家の面目躍如です。

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後影壁の威風堂々

字家大院


字家大院は、楼梯街の大邸宅の一つです。字姓は、この地域のイ族の典型的な姓です。ご主人がいうにはやはりイ族でした。二進院で、中庭を二つもち、中間に門と通路を設け、南北に邸宅を二分しています。

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南院と北院を二分する通路

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字家大院の門楼


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門庁

南側が主で、北側が従となり、南院は別に西側の楼梯街沿いに門庁を設け、中庭を夾んで、東側に主堂楼、ただし、こちらはすでにコンクリ建ての新築となっています。北側に庁房楼があり、門庁とともに二階建ての木造建築です。西南隅に「小院」(小庭)があり、彩色陶磁の花模様のタイルで覆われた美しい花壇があります。

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花壇