[旧街道]
さて、魯史鎮はかつての旧街道(鳳慶から巍山を結ぶ)の間にあり、ちょうど瀾滄江と黒恵江(大理の洱海から流れる)との間の山地、三台山の山地にあります。街並は、旧街道から南側の山の斜面を利用して段々にひな壇のごとく積み上がっています。
旧街道、長石板の連なりは馬が行く道です
旧街道はいまだに古風を留めていて、広々とした道でした。ここを下平街と呼んでいます。東に行けば黒恵江の渡し口である犀牛街に出ます。
[魯史鎮の手工業]
魯史鎮は商業だけでなく、茶葉生産や、手工業製品生産でも繁栄していた街です。
『魯史鎮志』によると、紡績業は清末、光緒三十四年(1908)に四川省の職人が移民し、糸車を使い、木製織機で布を作ったといいます。熟練職人で一日に一枚を織り上げました。民国十年(1921)から、洋物の糸で織ったそうで、効率も向上、熟練工で一枚から二枚を織り上げました。洋物の糸はビルマから入り、安く、1930年代から1940年代初にかけて、鎮内では、三十台もの木織機があったそうで、近隣の昌寧県や永平県まで売っていたそうです。紡績業の発展に伴い、染め物業も発展します。
布伸ばしの石
楼梯街では、凹形の大きな石が門前に置かれた家がありますが、これは染めた布を皺がつかないように伸ばすための石で、二人の人間が左右の角部をもって交互に動かしで使ったそうです。染め物は、はじめは地元の藍を使いましたが、民国二十年(1931)あたりに色鮮明で便利であるので洋物の染料を使うようになりました。
楼梯街の劉作明老人は、1970年代、外地生産の布が入るまで染め物業に従事していました。門前の凹形の石があったので、染め物屋の工房であることがわかり、入って話を伺いました。魯史鎮の老人はどなたも厭わず話しをしてくれます。地元の銘茶を出して飲ませていただき、囲炉裏の火を起こしてくださいます。広い家ではないのですが、北側の風水上、気が直接突き当たることをを抑制する影壁があるのですが、ここに西洋絵画の手法で書かれた精緻な風景画が描かれています。
劉家は父の代に四川から来た職人で、もともと紡績に従事していたそうです。
値段は1尺で3毛から4毛くらいの稼ぎになり、1日で4から50丈の布を染めることができ、200元くらいの稼ぎになったとのことです。


