艾蕪の『山峡にて』(『在山峡中』)はこんな小説です。
盗賊一味と一緒になった「私」は、そのつもりはなく、ただその頭に生活の苦しさを強く訴えたために、仲間に入ったと思われたのでした。
激流渦巻く瀾滄江深い闇の中、橋のたもとの祠で、彼らは一夜を明かします。「とうの昔に人類から忘れられ、棄られたようにひとりぼっち」のこの橋をは、秩序ある世界から隔離された局外であり、そこで一夜を明かす人々も、「老頭子」(ラオトウツ・お頭)、その娘「野猫子」(イエマオツ・山猫・尾坂徳司先生の解釈に従う。竹内好訳はうさぎとしている)、鬼冬哥(クゥイトンゴ・こわい哥い・尾坂訳)、小黒牛(シャオヘイニュウ)・夜白飛(イエバイフェイ・夜が明けると姿を消す・尾坂訳)・野老鴉(イエラオヤー・野がらす)・小驢馬(シャオリュイマー)といった世間での名前と違ったあだ名で呼び合い、世間とは異なる無法の世界を生き、「世界からほうりだされた数人のもの」である局外者たちです。
魯史鎮旧街道
彼らは昼間市でかっぱらいをやり、獲物を得ながら瀕死の怪我人を抱え、夕闇に紛れて「山の向こうの村からこっそりこの谷底まで這いおりできた」のでした。「私」は野猫子と若夫婦の役を演じて布を掻っ払う手伝いをしたのですが、この日の稼業で、小黒牛が怪我を負います。闇の中の祠で、めった打ちにされて半死半生の小黒牛は呻き、恨み言をいいます。
陰鬱な夜です。「河もしゃくな河だ、まるでおれたちを押し流すみたいに」。小黒牛を介抱する夜白飛は、ますます震え、響く谷の河音のなかでつぶやきます。夜白飛の不安は的中し、小黒牛は橋の上から波頭渦巻く河面に投げ込まれ、この世から消されてしまいます。小黒牛は、世間からも閉め出され、身を寄せた盗賊たち世界でも生きていけなかったのでした。「質朴な、苦悩に満ちた農民のおもかげ」をもっていた彼は、この世のどこにも身の置き所がなく、始末されて消えていきます。
小黒牛は、自業自得に仕事をしくじり、自業自得にこの稼業の愚痴をこぼしたために、ついに命を失ったわけです。盗賊は盗賊たちの掟があり、互いを動物の名で呼び合っていることが象徴するかのように、あたかも自然淘汰を思わせる非情さがあります。「あちらの世界から、張旦那の拳固をのがれるために、せっかくこちらの世界に身を寄せた小黒牛も、ついに河の餌食になる運命を逃れることはできなかった」ということなのでしょう。
「私」は明日彼らから離れて出発しなければと決意します。彼が本を読むのはまっとうな世界を望んでその中で生きようとしているからです。盗賊たちに揶揄されながらも、暗い祠で本を読むのでした。その意味では農民であった自分の故郷の懐かしさから逃れることができなかった小黒牛と同じく、しょせん闇の世界に生きる盗賊たちとは、生きる世界もはなから違っていたことが、わかってはいたことですが、小黒牛の死をきっかけに、はっきりと思い知らされたのでしょう。
出て行こうとする「私」を、引きめようとしたのが野猫子です。翌朝、他の者はすでに居らず、野猫子と「私」だけが残されていました。野猫子き出ていくという「私」を、どなりつけて引き留めようとします。「本気で出て行く?よし、こっちへおいで!」眼がうす気味悪くキラキラ光るのに、恐ろしさも感じ、美しさも感じ、「人形抱いて!泣いているじゃないか」といういたずらっぽい台詞に吹き出しそうにもなり、野猫子の美しさと陽気なさまに「私」も心惹かれるところがあったのでしょうし、まっとうな世界を引きずる「私」に昨夜の惨劇を隠そうとした野猫子も、惹かれるところはあったのでしょう。生きる世界を異にする者どうしの淡い情念が透けてみえます。生きる世界を越えた心通じるきずなもあるということなのでしょうか。
午後、彼らのもとに一隊の兵隊たちが行軍してきます。あちら側の世界の法と秩序を体現する軍人たちの出現に、野猫子は青ざめます。軍人の尋問に押し黙る野猫子に、「私」は若夫婦の夫を演じて助けてあげます。野猫子はおどりあがって喜びます。私を「殺すつもりだった」とうそぶく野猫子に、「それじゃ、いまだってころせるだろ」と返事をすると、「ウウン、殺すわけがないもん・・・」と野猫子は答えます。
その夜、彼らがもどってきます。昨日とはまったく違った手荒い稼ぎをしたらしく、祝い酒をひっかけて帰ってきました。次の日の朝、昼近くに目が覚めると、仲間は誰もおらず、がらんとしたおんぼろの祠に、「私」だけが一人とり残されています。
彼らも「私」を異なる世界に生きる人間であるということは、とうに分かっていたのでしょう。「私」は寂しさを感じます。しかしそれは夢ではなかったのです。地面の灰のかたまりには、人形がほうり出されていて、わたしの本には銀貨が三枚はさんであったのでした。もやのような悔恨が、「私」の心にたちのぼります。
人形は野猫子からの忘れ形見、銀貨の餞別は闇の世界からの励ましだったのかもしれません。本を読むような人間は、俺たちのような者ともう関わり合いにならずに、あちらの世界でやってみたらいい、とでも、この贈り物はいいたげであるような気がします。
「私」が二晩の夜を過ごした瀾滄江の谷底に広がる闇は、世間にとりまかれた昼の世界に見棄られた無法者の生きる闇でもあり、文字通り棄民たちの生きる闇でもありました。それは同時に、逆巻く怒濤のように残酷な自然に等しい淘汰の法則が支配する野性の世界でもありました。その闇は、中国の最深奥・最底辺に生きる人々の心に通底していたのでしょう。
自身が流浪者であった艾蕪は、そんな人々と確かに心通わせ、声なきそれらの人々の声を、谷底におらぶ叫びとしての声を、作家としての資質から、言葉として形にしたのだといえるのかもしれません。1920年代中国の見捨てられた片隅のような辺疆に横たわるそのような深い谷底を、作家は描いたといえるのではないでしょうか。
