私想と日々─まさどん氏の観念的筆記帳

瀾滄江を渡る漭街渡大橋ももうすぐ河に沈みます


漭街渡大橋で瀾滄江を渡りました。人家もなく、店が一軒あるだけで、警備兵もいません。


対岸からは登りになり再び1000mの標高差を登ります。ここで気がついたことは、路傍の樹木が伐採中であったということです。その前方にはコンクリート製の大きなアーチ橋が出来ていました。これは先ほどの新道がこの橋を通っているのですが、これらが示していることは、いよいよ小湾ダムによって瀾滄江両岸の水位は上昇するのだということです。


このため青龍橋も貴重な文物として、多くの石碑、磨崖石刻とともに鳳慶県の鳳山鎮郊外り紅亀山の河畔に移築されることになっています。


この辺りは漢族の住民がほとんどです。もともと無量山中の瀾滄江流域の地は明代までは元代以来270年間18代にわたって統治をした現地民出身の勐氏が統治していましたが、万暦二十六年(1598)に明軍に鎮圧されて滅びます。この後、この地域には明軍に従軍していた漢族たちが居を定めています。


魯史までは山の崖沿いの路をふたたびうねうねと上っていきます。途中村からは突然舗装道路となり、路は快適になるのですが、高度を上げるにつれ、ふたたび霧が濃厚に立ちこめます。すでにお昼近くですのにこの濃い霧です。ほとんど前方の視界がない状態ですので、危険です。とにかくつけられるランプは、ハザードランプも含めてすべてつけました。カーブを曲がるたびに手前でラッパを鳴らします。


崖の斜面の路はところどころ路盤が緩くなっていて、警告の杭がさしてあります。そんな路傍で、伐採に出ている人々が、薪火を起こして暖を採っていました。


海抜2000mで採高地点に達しました。山を回っていつしか反対側の斜面に出たと思ったら、目の前の霧が突然晴れました。そこから美しい虹が、眼下にさしかかっています。遙か1000m下の谷底のまで、虹は輪をさしかけていたのです。

私想と日々─中国文化研究者・川野明正の筆記帳

虹の橋の下の魯史鎮

その虹のもと、黒い屋根瓦の民居が山の斜面に身を寄せるように密集しています。

ここが目的地の魯史です。