今日は無量山中の宿場街、魯史に行くのが目的です。
霧たちこめる鳳慶の朝
翌日朝はどこまでも乳白色の霧でした。狭い盆地をとりまく山峰も見えません。なるほどこの霧がこの地の茶葉を育てるのだということはよくわかりました。北上すること18㎞で大寺までつきました。ここで小湾ダムの工事現場にいく舗装道路と分かれて、魯史鎮にいく道に入ります。海抜2095m。
舗装道路はここまでで、土剥き出しの路になります。石畳はほとんどありません。工事中なのです。そのなかを瀾滄江(メコン川)の河谷に向かってくだっていくのです。瀾滄江河面までの標高差は1100mもあります。車は上下に揺れ、地面は湿っており、たいへん危険です。
こんな道です
工事中の道路と左右に分かれますが、右側の旧道を進みます。左側は新道で、道の付け替え工事が行われていました。きついカーブが続きます。しばらくするとバナナの林が目立ち始め、土壁の集落から遙か彼方の下方に、青い帯がうねるように瀾滄江が見えます。河底まで急斜面がつづき、一枚一枚鱗のように棚田が続き、使える土地は使えるだけ使うという、雲貴高原ならではの奇観がつづきます。まさしく「耕して天に至る」という言葉どうりです。どんなに狭い谷間でも、三日月を重ねたように水田を作っています。
しかもこのあたりの人たちは漢族で、マラリアを避けて河面近くには住みません。高所に村を構え、河面近くの畑まで、毎日数時間の道を往復して農作業をしています。
瀾滄江は乾季の冬でも水の流れは多く、広々としています。河岸は砂浜になっています。
瀾滄江
漭街渡で瀾滄江を渡ります。いまでは鉄索橋があって容易に渡ることが出来ます。清代の乾隆二十六年(1761)にこれより下流の地に青龍橋の大鉄索橋が出来るまでは、もともとはこの地で渡し船の渡口としての交通の要衝でした。明末の大旅行家、徐霞客も、ここで渡し船に乗って魯史に宿泊しています。


