塩井のまわりに馬が、運搬手段として重宝されています。
もともと雲龍県は後漢の時代に比蘇(ビス)県の所轄区域に相当しますが、ペー族語では塩は「ビー」と呼ばれていますので名称にも関係があると考えられています。諾鄧村は後漢の時代に置かれた三つの塩井のうちの一つ。
元、明、清と、諾鄧は延々と塩を算出して
アヘン戦争後、大理に成立した杜文秀政権などが清代末年にビルマに進出した英国に対して塩を輸出したりなど、たいそう繁栄しました。
塩井はいまでも残っています。いまでも塩水が浸みだしてきています。この地方の塩は良質で、現地で塩漬けにされたハムは雲南一帯で絶品とされています。
塩井の前は石橋になっていて、河を跨いでいますが、橋のたもとには線香が捧げられています。外出の無事を祈願して橋神を祭祀したりします。線香に紙の模造銭を挿して祭祀する習俗が独特です。
