僧蠱(清末・李慶辰「酔茶志怪」巻三)
私の母方の叔父である郭葦堂先生が豫(江西省)に出ていた時に、たまたま土を掘ると、肉塊を得た。人頭のようであり、耳は揃えども口鼻はないのであった。物知りがいうには、「これは太歳というものであって、祭ってから埋めてしまいなさい。そうでなければ禍が起きますよ」と言ったが、公は聞き入れず、棄ててしまった。
後に江西から帰る道中で僧にであった。いうには、「あなたは顔色が青黒いし、腹中に蛔虫がいて、病が発作すれば、吐いたり下痢がとまらなくなり、治さねば死んでしまいますよ」。公が「どうすればよいのか」と訊くと、「簡単なことです。貧僧は些か術を心得ております。十金の報酬で治して進ぜましょう。わずかなことで、恙なく保つことができますよ」。公はその妄なことを叱ると、僧は怒っていった。「病がおきてから後悔するな。財産を命のように惜しむでない」と、不機嫌に去っていった。
夕方、公は宿に泊まり、すぐに気分が悪くなり、夜半に吐いたり下痢をしたり大変なことになり、虫が数えきれずに出た。小さな蛇のようであった。大いに驚いて件の僧を捜させたが、見つからなかった。ついに死んでしまったが、あるいは僧の蠱術ではないかといい、お金を払えば免れることができるのである。
解説
太歳は歳星(木星)の反対の軌道を回るとされる架空の星で、地中にあるといい、これを掘りだすと一家全滅などの祟りを起こすとされます。
蠱とは、霊的な毒虫を使って特定の人物に傷害を与えたり、蠱惑したりする毒物です。僧侶の使う蠱は、雲南地方の記事に多く、タイ族やビルマ方面の緬僧(ビルマ方面から入ってきた南伝仏教の僧侶) の使う呪術として出て来ます。
この記事では僧は蠱の毒を解くことができたのですから、僧が蠱の使役者でもあり、対抗呪術の施主ということになります。このような事例は、六朝時代の陶潜『捜神後記』にも出て来ます。