学習院大学でのチャリティー講演会では、なつかしい方々とお会いしました。たとえば、二十年余りの年月にわたって、中国関係の報告を例会として開いてきた東洋文化研究会の方々と再会しました。
再会といっても、会じたいは活発に毎月つづいていて、私が他の研究会の活動に忙しくなり、なかなか参加できなかっただけなのです。
この会はもともと集英社におられた細川呉港さんが立ち上げて、主宰されていた会で、毎月銀座のカレー屋さんで発表者の報告を聞く例会活動をつづけていました。
日中関係、政治問題、文化風俗など、さまざまな話題で毎回にぎわったものでした。
私も北京の縁日について、パンフレットを作成してお話ししたこともありますが、まさに十数年前の話です。
細川さんも集英社を退職されて研究と執筆三昧の日々ということで、月日の経つのはなんと早いことか、と十年一昔の感慨を感じたものです。
講演会の後、東洋文化研究会の創設以来の会員である金田直次郎さんと山岸清子さん、それに雑誌『人民中国』日本支局の若い記者である賈秋雅さんと飲みに行きました。
金田直次郎さんは、1980年代から長年『人民中国』の本社編集部におられた方で、最近古巣の日中友好協会に戻って新聞『日本と中国』の編集長をされています。
山岸清子さんは、長年勤められた日中旅行社が解散になり、いまは日中友好協会におられます。東洋文化研究会では長年会計をされて、会の運営をになっておられましたが、十年ぶりくらいにお会いしても楚々とした印象はまったくかわらず、昨日どこかでお会いしていたような感じでありました。それでも山岸さんの方で昔私が目の病気であったことは覚えておられて、「目よくなったんだ」とおっしゃられていて、私の大学時代のことを覚えておられたのには驚きました。
賈さんの奥様(向かって左)と山岸さん(向かって右)
私が目の手術をしたのは、大学卒業の年とその後の年でしたから、そうおっしゃるからにはやはり十年くらいは軽くお会いしていなかったことになります。
賈秋雅さん(向かって左)と金田直次郎さん(向かって右)
賈さんは一週間前に来日したかわいらしい若奥様と一緒に講演会の取材にこられていたのでした。
奥様は日本語が話せないのですが、賈さんは日本語がきわめて堪能な人ですので、いろいろな冗談もうまく訳してくれるのでした。
冗談といえば・・・・・『人民中国』の売り上げ倍増案という余計な提案を、酔った勢いで金田さんいっしょになって、賈さんに話たててしまいました。
曰く、誌名『人民中国』を、もっとほんわかしたイメージに変える。『桃源中国』というユートピア的イメージにしてはどうか。
曰く、表紙をデザインも桃や雲形の中華文様にかえる。桃源郷イメージで迫る。
曰く、連載、「中国の桃源郷」をはじめる。中国には陶淵明の『桃花源記』にならって、自分の村を「桃源村」と名付けている村が数多くあるので、桃源村をかたっぱしから訪問して、現地の人々が「魚米之郷」である自分の故郷にいかに満足して暮らしているかを伝える。
曰く、連載漫画をはじめる。胡錦涛国家主席がキャラクターとなって、さまざまな日中間の問題を解決してまわる。ヒーローもので、「胡錦ちゃん」というタイトルはどうか。
たとえば、夫が日本人で、妻が中国人の家庭で、妻が作った麻婆豆腐が辛すぎて食べられないで困っていると、「胡錦ちゃん」が、「大丈夫、任せなさい」といって、自分がみんなその場の料理を平らげてしまう。
私は金田さんといっしょになって、酔っぱらって、そんなおかしな提案をしまくったのですが、二人で腹を抱えて笑い転げていました。賈さんも困っただろうなあ。

