錦田吉慶園(後篇)


(昨日記事につづく)


とにもかくにも、吉慶園は真四角の城壁村落です。正門は城壁の中央にあり、橙色の紙に大書された対聯が、いかにも客家人の伝統を誇示しているのです。


          吉慶園

門前には吉慶園の名を刺繍した三角の大旗が何本も翩翻としているのですが、これは新界の客家村はどこでも自村の旗を入り口に立てているものです。ときには、北方の守護神玄天上帝をあらわす黒地に北斗七星をあしらった三角旗が立っていることもあります。新界では、客家村はよく圍という地名がついています。元朗近くでは軽便鉄道(ライトレールウェイという名の路面電車)の駅がある天水圍などが有名です。



圍というのは、客家人の城壁村落のことを指しています。これは福建・広東各地にかけて、客家の住居が数百人も居住可能な一族同居の形式をもつ土楼をもつことに通じています。


土楼は円形の円楼、方形の方楼などに分かたれますが、これらは土楼内部そのものが一つの住居です。香港の圍は、外観は方楼に近いのですが、これは外観であって、内部は各戸の住居が無数の長屋状になって連なっています。



吉慶園は鄧氏一族が集住している城壁で、北宋の時代にすでに新界の地に移住していたそうです。吉慶園はもともと1400年ごろには村落として成立していたようですが、城壁が出来たのは明代の末期(17世紀末)です。鄧氏は錦田の地でかなり有力な一族で、このほか4つの城壁に囲まれた圍をもっていたといいます。1898年イギリスが新界を租借しようとした際に鄧氏一族ははげしく抵抗し、イギリス軍は、戦利品として城壁正門の鉄門を奪っていきました。その後1925年に住民の要求により鉄門はようやく返還されています。



門は正面の一つのみです。正門の中には、土地神を祭祀する祭壇がありました。そこを抜けると閑そうな老婆たちが黒い日よけの布を垂らした現地の客家人特有の丸い編み帽子を被って待機していますが、これは観光客たちのために写真のモデルになっているのであって、一人10元ほど要求されます。これはもうお約束事になっています。じつは20年ほど前にもこの村にいったことがあるのですが、そのときより値段は10倍くらいになっていました。それほど、吉慶園は香港で有名な客家住居で、観光地化されているのです。


     客家人のおばあさんたち


        城壁の入り口

門をくぐるとそのまま真っ直ぐ対面の城壁まで、人がすれ違えるほどの幅の道が延びています。


     城壁内部のメインストリート


突き当たりは祠堂になっています。おそらく先祖の位牌を置いたのだと思いますが、なぜか今は祖先祭祀を思わす痕跡はありません。さまざまな神の名を記した位牌があるだけです。かつて村の防衛に使った旧式の大砲が展示してありました。


           祠堂



           大砲



中心の道から左右対称に住居が林立する路地が伸びています。人は一人しか通れない極めて狭く、窮屈なものです。


住居は、いまではほとんどの住居が現代式の住居に建て替えられてしまっているので、趣きは半減してしまいましたが、それでも城壁内外にいくつか伝統式住居がみられます。


      城壁外の伝統的住居

切妻式の簡素な住居ですが、壁面は橙色・灰色・黒色のとりどりの色の大柄な煉瓦で積み上げられており重厚で美しい印象を与えます。屋根は黒色です。軒下の壁面にいくつか花鳥人物のレリーフをあしらったものもありました。家屋内部の母屋には祖先の位牌を祭祀していますが、そのほかに観音菩薩を祭祀する家もあります。
また、なぜか門前に招き猫を祭祀(?)している家もあり、笑ってしまいました。




門の左右には春を迎える気持ちを表現した伝統的な対句である対聯が貼られていますが、これは広東省によくみられるオレンジ色に近い紅紙で、手書きの書法が墨跡鮮やかに書き付けられている所など、香港の市街部では滅多にみられない客家人の伝統文化へのこだわりを示して余りあるものでした。



香港で有名な客家住居は、このほか新界の沙田にある曾大屋、地下鉄荃湾線の終点荃湾にある三棟屋博物館、KCR粉嶺にある龍躍頭、香港島の地下鉄柴湾線の終点にある蘇屋などがあります。