知り合いの編集者のOさんと島唄酒場に日々通っておりました。

上原正吉(うえはらしょうきち・上原はもうウィーバルとは読まないようです)さんのお店「上原正吉藝能館・宮古根(ナーグニ)」に行きました。那覇泊港近く、

本格的な島唄ライブハウスの形式をもった落ち着いたお店です。観光客のお客さんも多いようですが、ライブの内容に妥協はありません。

情唄(ナークニ)とは、高音で謡う情唄が得意な上原正吉さんならではの気持ちを込めた店の名前です。もと宮古島の民謡を、首里王府に出て来た今帰仁の若者が感動して持ち帰り、現地で広まったといわれる唄のかたちで、だから「宮古根」と書きます。


左から、与那嶺美香さん・山内昌弘さん・上原正吉さん・上原恵美子さん


那覇市の唄者さんの情報は、那覇市の運営しているサイト、Okinawa Culture Archiveが詳しいのですが、ここに掲載されている上原正吉さんの項目の玉城愛さんの解説を引用しておきます。

「ナークニー」は、県内各地で歌い継がれている情歌で、琉球王朝時代、今帰仁から首里に奉公に出た若者がそこで宮古島の歌を聴いて感動して村に持ち帰り、モーアシビーなどで歌うようになったのが始まりだとも言われている。8・8・8・6の琉歌の形式に、恋や農作業、遊びなど集落でのさまざまな生活の場面を即興で読み込み歌われる。また、字(あざ)ごとで節回しが違い山型の旋律で放物線を描くように歌うのが特徴である。正吉の節回しは独得で、水が流れるようにスッと上がったり下がったりする。

「ナークニー」はそのルーツを宮古島に持つということから、「宮古ン根」とも表される。


上原正吉さんのウクレレ、奥様の上原恵美子さんの太鼓、若い唄者山内昌弘さんの三味線、与那嶺美香さんの三味線と、四人でそれぞれ唄を盛りあげ、楽しいステージをみせてくれます。もちろんリクエスト、飛び入りOKです。つまみセット3000円で楽しく唄を聴いて踊って満足です。

パラオに移住した四人の沖縄出身の年配の女の方がさきに来ておられましたが、懐かしい沖縄の唄をリクエストしていました。

上原正吉さんは沖縄本島名護市の今帰仁のご出身。昭和16年生まれ、16歳で前川朝昭さんの民謡研究所に入門し、18歳でデビュー。前川流師匠。小柄で寡黙な雰囲気の方でステージでトークをすることもないのですが、温かい声の持ち主で、高音の「イナグクイー」(女声)はこの人だけの美声といわれます。情唄(ナークニ)を謡わせたらこの人の右に出る人はいないという方です。ウクレレで、他の方の三味線と唄を盛り上げます。このステージで奥様と一緒に多くの弟子を育てた沖縄民謡の小さな巨人といえる方です。

上原恵美子さんは、ステージのトークをお一人で担当。流麗です。その場の雰囲気にもすぐに対応します。サンバと呼ばれる板二枚の打楽器の名手で、まるで沖縄版フラメンコといってよい凄まじい藝をお持ちです。

山内昌弘さんは、5歳でデビューしてレコードも吹き込んでいるという方で、30代にもかかわらず凄い芸歴の方です。楽しく高音を効かせて謡います。

与那嶺美香さんは、大阪出身の人ですが、名前の通り、沖縄の人です。

沖縄口(ウチナーグチ)はあまり話せないのだそうですが、沖縄民謡コンテストに十七歳で優勝したそうです。立ち姿も筋が通って気持ちのよい高い声が持ち味ですが、微笑みが素晴らしい人です。そんな大人びた雰囲気ですが、なんとまだ十八歳で舌を巻きます。


凄いぞ! 与那嶺美香さん。十八歳の唄者とは信じられないさー


第二ステージ以降の曲を並べておきます。

(以下第二ステージ)

「花」与那嶺美香さん。世界的に有名な喜納正吉の唄。

「今帰仁の女」上原正吉さんの持ち歌。今帰仁出身の人が放浪しつつも故郷の麗しさを想う内容。

「島の人」与那嶺美香さん。忘れられない島になぜかうつろな風吹く。小糠雨の那覇の街何故かうつろな風が吹く、あの娘はどこにいるのやら、忘れられない島の人。サビの前にいったんドンドンと拍子が入るところがよいです。

「ハイサイおじさん」山内昌弘・与那嶺美香。

「県会議員大城さんのとびいり(1)」準メンバーといってよい県会議員の大城さん。ユーモアのある唄を披露されています。前川流の三味線を学んで夜な夜なここで唄を磨いているのです。

「県会議員大城さんのとびいり(2)」かけあいの口説(クドゥチ)。寸劇っぽいところがとても面白いです。ウチナーグチなのでよく聞き取れませんが、大阪にいって、親の仕送りにゆく娘を見送るという内容、「偉いねぇ、おまえは」というような内容。


圧巻だぞ! 大城さん、議員さんとは信じられないさー


「新安里屋ユンタ」(1934年 星克 作詞 宮良長包 編曲)竹富島の民謡安里屋ユンタを、7・7・7・5句の都々逸と同じ詩句にあらためて、「さぁー君は野中のいばらの花か、サアユイユイ」とやるわけです。

「与那国小唄」(与那国女子青年団作詞1937年)に作った唄。

「波にぽっかり浮く与那国は、島はよい島無尽の宝庫、唄と情の 唄と情のパラダイス、サノサッサ、サアツサヨイヤササ、与那国よい島宝島サノヨイヨイ」。これ覚えてカラオケで歌おうと思います。

「ティンサグの花」上原正吉、ティンサグは鳳仙花のこと。爪を赤く染めるのですが、韓国でも同じ習慣がありますし、中国雲南省のペー族(白族)も旧暦六月二十五日のたいまつ祭りのときに、鳳仙花で爪を染めます。歌詞は教訓的ですが、メロディーがそれを和らげる感じです。あまりにも有名な唄。

「カチャーシ」


とびいりの西郷さん(のような人)は

ヘベレケー。

(以下第三ステージ)

「不詳二曲」与那嶺美香

「島唄」Boomのヒット曲。山内昌弘

「恋(くい)の初(はじ)み」上原正吉

「不詳」上原正吉・与那嶺美香

「不詳」前川流を習う女性・山内昌弘

「デンサ節(の一種)」「不詳」与那嶺美香。八重山の教訓唄デンサ節の一種のようですが、よくわかりません。

「オリオンビールの歌」山内昌弘BIGIN『ビギンの島唄~オモトタケオ』でかっちりシマンチュの心をつかんだ宣伝歌。「オジー自慢のオリオンビール」「ワッター自慢のオリオンビール」「三つ星かざして高々と、ビールに託したウチナーの、夢と飲むから美味しいさ、オジー自慢のオリオンビール」「戦後復帰を迎えた頃は、みんな同じ夢を見た、夢は色々ある方が良い、夢の数だけあっり乾杯」ここで沖縄戦から生き残り、沖縄復興にがんばった年配の方を労う心根を感じます。そして「新築祝いであっり乾杯、入学祝いであっり乾杯、卒業祝いであっり乾杯、にーちびさびたんあっり乾杯、オジーと一緒にあっり乾杯」と最後に五回乾杯して終わります。にぎやかです。

「旅ナークニ」与那嶺美香 上原正吉さんのデビュー曲。

「みけちゃん」山内昌弘 山内さんが五歳でレコーディングをしたませた男の子が、みけちゃんが好きになる唄。面白い。

「カチャーシ」しめはやっぱりカチャーシです。