1
この時期には緑色の柑橘系の果実がお目見えである。
大分県のカボス、徳島県のスダチ、高知県のユズが良く目につく。
これらはそれぞれその県の特徴的な産品である。
大分のカボスは、生産量が5000トン以上。日本全国の96%を生産している。
参考であるが、徳島のスダチも同じ位で、やはり5000トンを超え、全国の98%の生産量である。
ついでに高知のユズはそれぞれの2倍の生産量である。それでも全国の49%とのことである。
因みにレモンは広島県が全国一で49%を生産するが、生産量は3300トンと少ない。
やはりレモンはアメリカ等からの海外輸入に頼っているからであろう。
話を大分のカボスに戻す。
カボスは大分県の中でも、臼杵津久見地方や竹田地区で多く栽培されている
これらの地方では、古くから民家の庭先に薬用として植えられていたと云われる。
臼杵市乙見地区に残る言い伝えによれば、江戸時代に宗源という医師が京都から持ち帰った苗木を植えたのが始まりとされている。
臼杵市内には樹齢300年といわれる古木が存在していて、現在も樹齢200年前後の古木が数本点在することから、大分県が原産と云われている。
カボスの味であるが、ユズやスダチには無い甘味がある。
これは国産レモンに匹敵するものである。
しかしレモンの様な酸味は少なく、塩味がしっかりしているため、カボスを搾って料理に掛けることにより、焼き魚や鶏肉、豊後牛等の素材の味わいを引き立たせるような料理に向いていると云われている。
2
大分発の全国チェーンのファミレスがある。
「JF」と云う。
店舗数では、GST、SZAに次いで国内3位の店舗数750店強である。
この店は、今から40年前に焼き肉チェーン店の展開を目指して、大分市に設立された店がルーツである。
その後店名を「JF」に変え、その一号店を大分市萩原に開店している。
JFは、大都市には出店しないという戦略と、低価格での提供戦略を特徴としている。
従ってワンコイン以下の料理が多く、また定食などでもワンコインを少し超える程度で、大変にリーズナブルである。
現在、店舗の半分以上は九州にあるが、中国地方から四国・関西・中部・関東と徐々に店舗を広げつつある。
そして北は気仙沼市、南は宮古島市まで店舗を有している。
全国のベストスリーGST、SZAとこのJFは、いずれも低価格を目指している店で、庶民には嬉しい限りである。
3
大分県宇佐市は「からあげ専門店発祥の地」であり、中津市は「からあげの聖地」として日本唐揚協会に認定を受けている。
そして、からあげフェスティバルが昨年、千葉の幕張、名古屋で行われ、今年はまさに本日(9月20日)から聖地中津市で開催されることになっている。
宇佐市と中津市には約70店のからあげの店があると云われる。
そのうちの宇佐市発の店が身近にある。
その店の名は「TA」と云い、洒落かも知れないが大阪の中津に出店しているのも面白い。
宇佐市の四日市の「RR軒」がからあげの発祥と云われる。
戦後間もない頃に中国系の主人が、養鶏場で規格外の鶏を処分していたのを安く譲ってもらい、唐揚げにして売り出したのが始まりとされている。
そしてその後、同じ四日市の「SS」に唐揚げの作り方を伝授し、そのSSから宇佐市から中津市に掛けて唐揚げが徐々に広まったとされている。
唐揚げは、素材の鶏肉、そして醤油や大蒜の下ごしらえの「秘伝のタレ」、そして揚げ方にそれぞれ店の特徴があり、各店が味を競い合っている。
たかが「からあげ」、されど「からあげ」である。
4
大分の最後は麦焼酎である。
大分県の麦焼酎の醸造量は日本一である。
その中でもトップは下町のナポレオンで知られる宇佐市の「SW酒類」の「いいちこ」で断トツである。
その次は日出町の「NKD酒造」の「二階堂」であり、共に全国1、2位である。
また「NKD酒造」の酒銘「吉四六(きっちょむ)」は名酒として通の間では良く知られている。
かつての「SW酒類」は日本酒のメーカーであった。
かれこれ40年ほど前、大手の日本酒メーカーが九州に進出してきて、価格競争が激化し、経営が苦しくなった時がある。
そこで思い切って焼酎に切り替えることにしたそうである。
しかし当時の麦焼酎は香りがきつく濁りもあったと云われる。
そこで知恵を集め努力の結果、現在の様なスッキリしているが飲み応えのある麦焼酎の開発に成功したとのことである。
そして焼酎ブームの到来により現在に至っている。
「いいちこ」や「下町のナポレオン」は地元紙の公募によって決められたもので、「いいちこ」とは大分県の方言で「いいですよ」を意味していると云われる。
更に、ビリーバンバンの唄で坂本冬美がカバーの「また君に恋してる」はいいちこのCMソングから始まったものでもある。
一方、「NKD酒造」はどうであろうか?
社名のNKDとは歴代の社長の姓であり、創業は慶応年間である。
時代は江戸期の初めの頃、この地は日出藩であり藩主の木下俊長公が治めていた。
古刹の松屋寺(しょうおくじ)の寺小僧が、寺の甘酒を盗み出し、飲み切れなかった分を壺のまま付近の麻畑に埋めておいたことがあった。
壺が無くなっていることを和尚から追及された小僧は、麻畑に隠したことを白状し、掘り出して和尚に差し出した。
和尚が壺の中身を見てみると、殊の外澄んだ酒に変わっていた。
そして味わってみると、風味も豊かであり、和尚は藩主にこの酒を献上したと云われる。
藩主木下公はこれを「麻地酒」と名付け、以降将軍への献上酒となったと云われる。
この麻地酒の伝統を受け継ぎ、醸造酒から蒸留酒への転換を行い焼酎の製造を開始したのが「NKD酒造」である。
戦後になって麦の統制が取れてからは麦麹の研究に没頭し、いまから30年ほど前に本格麦焼酎を発売したとの歴史を辿っている。



