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岐阜県の飛騨山地の南端に位置する郡上市いわゆる郡上八幡では、盆踊りである「郡上おどり」が良く知られている。
毎年7月中旬ごろから9月上旬まで開催され、特に8月の13~16日は夜通し踊り続ける徹夜踊りがメインとなる。
この郡上おどりであるが、郡上藩藩主の奨励によるものとされている。
初代藩主遠藤慶隆が領民親睦のため奨励したのが発祥と云われるが、その後江戸期の中ごろに藩主青山氏の時代には百姓一揆が勃発したため、一層の融和を図るために更に奨励されたと云われる。
この郡上踊りには各地への出張踊りがある。
京都では、毎年6月に京都市役所前の広場にて開催され、通りがかりの観光客も含めて、楽しく踊る光景が見られる。
郡上おどりの曲名は全部で10曲あるそうである。
「かわさき」「春駒」などが有名であるが、全て踊り方が違うため、踊りの合間に踊り方の練習もある。
この郡上おどりは、国の重要無形民俗文化財に指定されてもいる。
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岐阜の揖斐川流域はかねてより柿の産地として知られる。
現在は西日本の各地で栽培されている甘柿の王者富有柿は、岐阜県の瑞浪市で江戸時代に栽培が始められたと云われる。
大垣市と云う市がある。
大垣の地名の由来であるが、以下の2説がある。
先ずは、その町にある大垣城である。
関ヶ原の戦いで石田三成が一旦本拠地としたが、関ヶ原へ陣を移したという経過を辿る。
その城。、当時は大柿城と呼ばれていた。
また別に大垣は水都と呼ばれる水の町である。
市内をいくつもの川が流れ、時々は氾濫を起こすことがあった。
そこで、人々は洪水から家屋を守るために大きな堤ち大きな垣を築いたので、大垣と呼ばれたという。
柿の産地の大柿なのか堤防に大垣なのか、その発祥はどちらとも言えないが、現在は表記は大垣市である。
この大垣市には渋柿「堂上蜂屋柿」を原料とした銘菓「柿羊羹」がある。
柿羊羹は通常半分に割った竹に流し込み固まらせ、そのままの形で販売されている。
元祖は「TTY」という店である。
大垣市俵町で昔から続く平入りの町屋に本店を構えている。
羊羹原料の「堂上蜂屋柿」は、平安時代には「干柿一個に米一升」と云われ、年貢として米の代わりに干し柿を納めていたことも有るそうである。
そしてその柿を朝廷に献上したところ、その美味さに朝廷の人々は感動し、破格の待遇を受け、殿上人の称号を貰ったため、柿の名を「堂上蜂屋柿」と名付けたという。
また関が原の合戦の際には、徳川家康が揖斐川まで進軍して来たのを迎えた地元の農民達が、大きな柿を献上したところ家康は、
「われ戦わずして大柿(大垣)を得たり」
と喜んで、全軍を鼓舞したのは有名な話でもある。
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最後はラーメンである。
飛騨高山地方には高山ラーメンと呼ばれるジャンルのラーメンがある。
京都や大阪で料理人の修業をしていた富山八尾の若者が、一旦帰郷し再び京都へ行こうと思って列車に乗ったが、高山の町が面白そうなので、一旦途中下車した。
高山の居心地が良かったのであろう、そのまま高山で時を過ごしたと云われる。
そして高山で調理人となった若者は、昼は料亭、夜は屋台で、前に中国人から教わった支那そばを始めた。
時は昭和の13年、飛騨中華そばの始まりであった。
しかし、そのまま戦時中となった。
戦後になって再び屋台を始め、繁盛した。
そのうちに店舗を構える中華そば屋もでき、昭和の24年には製麺業者もでき、高山のラーメンは益々繁盛したと云われる。
身近に高山ラーメンの専門店「HDのTYラーメン」があるが、高山発の店ではない。
レストランの全国チェーンの一つのジャンルの店で、17店舗を有している。
このラーメン店、身近には数店舗ある。
その一つを訪れてみた。
丁度昼時であったので店は満席状態であった。
入店待ちとなるところであるが、一席譲ってくれた客がいて、無事入店、座ることが出来た。
そして店員嬢に、基本となる高山ラーメンを注文したのであった。
高山ラーメンは出汁とスープを一緒に煮込むそうである。
そして麺は、鹹水や塩をあまり使わない縮れ麺である。
これはスープが麺に良く滲み込む様にと研究した結果であると云われる。
トッピングは、チャーシュー、白ネギ、メンマ、ホウレンソウ、それに海苔が縁に飾られている。
そしてスープは、あくまでも薄い色であり、一瞬塩ラーメンかと思ったが、それなりに醤油味である。
最近は濃厚な味のラーメンが多い中、あっさりと頂けた満足の一杯であった。
尚余談であるが、高山には年間で50万人、一日で客の多い時には2000杯も出る店があるという。
紛れもなく日本一の店である。



