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身近なケンミンショー

日常の生活範囲の中で見つけた身近にある都道府県や都市にまつわるお話しをゆるーく綴ります

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 岩手県は、江戸時代の南部藩の北半分を切り離され、そして南の仙台藩の北の部分が合わさった変則的な構成となっている。
 従って隣の青森県も、津軽藩と南部藩の北部が合わさった変則的な構成となっている。 
 この構成は概ね旧国の陸中国と陸奥国に戻ったようなものであるが、どうなんであろうか?


 明治になって藩を分断して県を構成するのは種々の事情があったのであろうが、とりわけその時の政府の薩摩長州土佐出身の政治家達の戊辰戦争の戦後処理への考え方が多分に影響しているものと思われる。


 岩手には南部藩時代からの菓子がある。
 「南部せんべい」や「ゆべし」である。

 南部せんべいの始まりには諸説あるが、非常用の携行食として開発されたものと思われる。
 有力説は、南北朝時代に南朝の長慶天皇が南部地域の長谷寺を訪れたときのことで、その時食事に困り、家臣の赤松助左衛門が近くの農家からそば粉と胡麻を手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出したとされる。


 天皇はいたく気に入り、その後も作らせたと云われる。
 南部せんべいに、赤松氏の三階松紋と楠木氏の菊水紋が付けられているのはこの理由によるとされている。


 南部せんべいは、落花生や胡麻を入れるのが多いが、その他にも色んなバリエーションがある。

 せんべい汁という南部の郷土料理があるが、崩れにくいように水分を残して作られた「おつゆせんべい」などの専用のせんべいが利用される。

 
 引き続いて「ゆべし」である。

 ゆべしは「柚餅子」と書かれ、一般的には柚子を使うものであるが、柚子は南国の果実であり東北では入手困難であったため、逆に手に入れ易い胡桃を使って餅菓子を作り上げたのが、東北の「ゆべし」である。


 ゆべしは味付けに醤油、砂糖、黒砂糖、味噌を使用し、胡桃、胡麻、餡子、黒蜜などが入れられるので、色は褐色から黒に近くなる。
 基本は醤油と砂糖が餅に練り込まれているので、噛めば噛むほど引きだされる甘しょっぱい味と、それに胡桃や胡麻の香りが重なり、美味しい菓子となっているのである。

                      

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 盛岡には「盛岡冷麺」や「じゃじゃ麺」という麺料理がある。
 これらに「わんこそば」を合わせて、盛岡三大麺と云われる。

 冷麺もじゃじゃ麺も昭和で戦後の新しい料理である。


 冷麺は朝鮮半島北部生まれの在日朝鮮人1世のA氏が、戦後盛岡で朝鮮料理の店を出し、その店で自分が子供のころ食べた冷麺を再現するべく提供を始めたのが始まりである。
 朝鮮の麺や味は再現できたが、コシがあり過ぎ硬くて不評であり、低迷した。


 そこで盛岡の人の口に合うように改良に改良を重ねたと云う。
 蕎麦粉を入れないで麺を白くしたが、ジャガイモのでんぷんを使ったコシの強い麺、キムチのトッピング、牛骨ダシ中心の濃厚なスープという朝鮮の味の3つの要素にはこだわり、それを守りながら進めたと云う。


 努力の甲斐あって、徐々に客には受け入れられるようになった。
 新しいもの好きの若者たちが集まるようになり、冷麺の基本が確立したのであった。


 その後、販売する店も増え、今から30年ほど前に盛岡で開かれた「日本めんサミット」にて、現在は有名店であるPP舎が初めて盛岡冷麺と云う呼称を使い、今や全国的に盛岡冷麺として一大分野を獲得しているのである。
 盛岡冷麺には、口直しトッピングとして西瓜やリンゴなどが乗せられるのも特徴的である。


 じゃじゃ麺は同じ大陸でも中国東北部からの移入である。


 戦時中、旧満洲に移住していたT氏が戦後引き揚げ、盛岡で屋台の餃子屋を始めた。

 時間が経って、やはり満州で食べたジャージャー麺の味が忘れられず、その味再現して店で出してみたと云う。


 じゃじゃ麺は、茹でた小麦粉の平うどんに「じゃじゃみそ」という特製の肉味噌やキュウリ、おろし生姜、それにお好みで酢や辣油などをからめて食べる独特の麺料理である。

 ギョーザの皮の残りの粉で麺を打ち、味噌を作り、屋台の客にじゃじゃ麺を出してみたと云う。
 これが盛岡のじゃじゃ麺の始まりであった。


 しかし、中国からの引き揚げ者の客からは「中国の味と違う」と言われ、味の再現に苦労したそうである。
 そして、改良を重ね現在に近い形に完成させたと云われる。


 じゃじゃ麺の正当な食べ方は、麺を食べたあとの器に生卵を溶き、麺の茹で汁を注いで、塩やコショウなどで味を調えると「鶏蛋湯(チータンタン)」というたまごスープが出来上がる。
 これで〆て、じゃじゃ麺の完食である。


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 岩手県は古くから南部杜氏の里として知られた酒処である。
 酒処と云うからには、米、水が優れているのは当たり前であるが、そこに技術を磨いた杜氏が加わるのであるから、品質の良い旨い岩手の酒が出来上がるのである。


 余談であるが、杜氏の郷として有名な所がある。
 日本三大杜氏と云われるのは、この岩手の南部杜氏、新潟の越後杜氏、兵庫の但馬(たじま)杜氏である。


 酒蔵「AB」は明治初期に創業した蔵である。
 南部藩士だった創業者M氏が商人として再出発して酒造りを始め、そして時代も明治の初めだったことから、和歌の「漕ぎ出る」にかかる枕詞「あさ開」を酒銘としたのである。


 この蔵の杜氏であるF氏は厚労省の現代の名工に選ばれている。
 岩手県紫波郡に生れ、千葉県を始め全国各地の蔵で腕を磨いた後、今から30年ほど前にこの蔵の杜氏として就任し活躍している。

 藤尾氏が就任してから、特選街日本酒コンテスト、パリなどの酒まつり、東北の新酒鑑評会、そして全国新酒鑑評会にチャレンジしている。
 その結果、全国新酒鑑評会では24回に渡り連続入賞していて、うち19回は金賞を受賞している。


 実は岩手県には今までに仕事で花巻、盛岡、東和町などに5,6度は訪れたことがある。
 残念ながら観光には行っていないので、美味しい食べ物や景色には触れていない。
 従って余りの印象はない。
 今度は是非観光で行って見たいものである。
 特に、先ごろ放送された「あまちゃん」の三陸や遠野には行って見たいものである。


 さて岩手の酒であるが、酒米はかつては「山田錦」に頼っていたそうであるが、岩手では収穫量が少ないため、新たな酒米の開発が望まれていた。

 長野の「美山錦」を岩手で栽培することに成功したが、それはそれである。
 その後、この酒蔵を中心に努力した結果、岩手独自の酒造好適米「吟ぎんが」の開発に成功したとのことである。


 これからは「山田錦」を超える米・酒造りが課題になるとの目標を掲げている。

 この酒蔵AB、近年の日本酒離れを何とか取り戻そうと、発泡酒や低アルコール酒にもチャレンジしている。
 勿論、明治初期の日本の夜明けのように漕ぎ出しつつ、全国区あるいは海外展開にも余念がない。


 これら以外に、岩手県には平安時代から奥州藤原氏によって始められた南部鉄瓶の伝統もある。