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身近なケンミンショー

日常の生活範囲の中で見つけた身近にある都道府県や都市にまつわるお話しをゆるーく綴ります

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 佐賀県と云えば、玄界灘に面した呼子のイカ料理を思い浮かべる。
 唐津の虹の松原の風光明媚さに加えて、旅情が掻き立てられる。


 この呼子には海中レストラン「MB」がある。
 呼子のこのレストランには行ったことはないが、WEBによると、海中の生簀を取り囲むように部屋が配置され、生簀やレストランの外の海中を眺めながら食事ができると云う触れ込みである。
 そして、この「MB」はいかしゅうまい発祥の店と云われていて、興味がそそられる。


 その「MB」の支店が、身近のデパートに出店されている。

 残念ながら生のイカ料理はないが、名物である「いかしゅうまい」をメインにして販売している店である。
 この店に先日立ち寄って、いかしゅうまいを買ってみた。
 蒸したいかしゅうまいと揚げたいかしゅうまいのセットである。

 いかしゅうまいは、身が柔らかい上身のみを使用し、それに玉葱、鶏卵、天然塩を練り込んでいる。


 先ず蒸した方を食べてみると、ふんわりとしてプリプリである。
 しゅうまいと云うよりは、何か別の料理を食べているような感覚である。


 次に揚げた方である。
 油で揚げてしまえば、その感触は魚を練って固め、油で揚げたいわゆる天ぷらに近くなる。
 内部には少しのふわふわ感はあるが、結論として、揚げない蒸した方が優位である。


 呼子まで出掛けて、生いかと共に味わってみたいものであるが、それはそれとして、近場でいかしゅうまいだけでも手に入るのは嬉しいことである。


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 佐賀県は北西部は玄界灘、西は長崎県、北東部は福岡県、そして南部及び南西部は有明海に面している。
 佐賀県西部に縦に並ぶ街々は陶磁器の焼き物で良く知られている。
 玄海に面した唐津、伊万里、有田、そして長崎県になるが波佐見と南北に直線状に並んでいる。


 その中でもっともよく知られているのは、江戸時代の初頭、赤絵磁器の焼成に成功した有田の初代酒井田柿右衛門であろう。
 その柿右衛門は現在で15代目、連綿と受け継がれてきているのは見事なものである。

 尚、柿右衛門は40数年前の13代柿右衛門の時に、国の重要無形文化財に指定されている。


 佐賀県のほぼ中央に小城市がある。
 県庁所在地の佐賀市の直ぐ西側にある市で、今から10年前の平成の大合併で小城町を中核として4町が合併して誕生したものである。


 江戸時代は鍋島藩、即ち佐賀藩の支藩の小城藩があった所でもある。

 小城市は1000m級の天山を北に、南に有明海を望む風光明媚な都市である。
 かつての藩政当時の町並みを、九州の小京都と云われたりもする。


 この小城市の名物に小城羊羹というのがある。


 この羊羹は製造して少し時間が経つと表面に砂糖が浮き出し、外はカリカリ、中はシットリとして甘いと云う絶妙の羊羹である。

 明治時代から作られている伝統的な羊羹で、現在もこの地域で20数社が製造している。


 この羊羹を最初に製造したのは明治時代初期、その人は森永惣吉氏と云われる。
 その後、軍隊の戦地での必需品とされ、戦地まで長時間かけて届けても変質しないことから、日清戦争等で重用されたため、大量の小城羊羹が生産されるようになったと云われる。


 そして現在の村岡総本舗の村岡氏など幾つかの羊羹製造者が出て、その名称も「小城羊羹」として商標登録された。
 この商標は小城の組合に加入している製造者であれば、この商標を使うことができるようになっている。
 従って、どの会社の商品も小城羊羹と記されている。


 佐賀県は茨城県に次いで全国2位の羊羹消費県である。
 そして佐賀市は全国1位の羊羹消費都市でもある。

 そして小城羊羹は佐賀県の消費をベースにして、全国へと広まっている。


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 佐賀県のお茶の生産量は静岡県や鹿児島県には到底及ばないが、それでも県全体では全国8位の生産量である。


 佐賀県には「うれしの茶」がある。

 佐賀県南西部の長崎県と隣り合わせの嬉野市のなだらかな丘陵地一帯で栽培される茶である。

 うれしの茶は、毎年実施されている「全国茶品評会」の蒸し製玉緑茶の部門にて、5年連続の日本一「農林水産大臣賞」を獲得した美味しいお茶なのである。
 嬉野市の茶畑は、なだらかな山間で霧深く、昼夜の温度差があり日照量などの条件が、茶の栽培に適しているのが、良いお茶ができる理由であろう。


 佐賀県のお茶の歴史は、平安末期の臨済宗開祖の栄西上人に始まる。
 栄西上人が中国宋から持ち帰った茶の種を現在の吉野ヶ里町の山腹に蒔いたのが最初とされる。
 栄西は同時にこの種を京都高山寺の明恵上人にも分け、宇治茶が生まれることになった。
 そして静岡にも広めたとも云われている。


 また、嬉野市は「釜炒り茶」の発祥の地とされる。
 今から500年ほど前、中国明の陶工が明から釜を持ち込み、南京釜による炒葉製茶法を伝えたことが嬉野式の釜炒り茶の始まりとされている。


 その後、江戸時代になって、佐賀藩肥前白石郷の吉村新兵衛氏が嬉野の不動山地区を開墾し、茶種を蒔き、そして南京釜の製法を改良し近隣に広めるなどして、うれしの茶を一大産地としたと云われている。
 現在も、吉村氏が蒔いた茶樹と伝えられる大茶樹が樹齢350年で残存していて、国の天然記念物に指定されているとのことである。


 嬉野にはお茶以外に温泉がある。
 嬉野温泉と云い、日本三大美肌の湯に数えられている。
 日本三大美肌の湯とは、この嬉野温泉に加えて、島根県の斐乃上(ひのかみ)温泉、栃木県の喜連川(きつれがわ)温泉である。


 余談であるが…、
 日本三大美人の湯と云われるのは、和歌山県の龍神温泉、島根県の湯ノ川温泉、群馬県の川中温泉である。
 更に、日本三名泉とは、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉、岐阜県の下呂温泉を云う。