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身近なケンミンショー

日常の生活範囲の中で見つけた身近にある都道府県や都市にまつわるお話しをゆるーく綴ります

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 富山ケンミンは豊かである。

 生活水準は、世帯当たりの実収入、勤労者世帯の平均貯蓄率、世帯当たりの自動車保有台数そして住宅の持ち家率や延床面積などが全国一である。

 また勉強も、高等学校進学率や大学進学率、人口当たりの図書館の数などが全国ナンバーワンである。


 そして景観はというと、立山連峰や黒部ダム、黒部渓谷の美しい自然や富山湾の蜃気楼、それらに加えて名水の数では全国一であり、羨ましい限りの富山ケンミンである。
 
 海産物では、ホタルイカ、氷見の寒ブリ、しろえびにあまえび、それに海ではないが鱒の寿司などが良く知られている。
 そして花は砺波のチューリップ、米は立山の雪解け水で育まれた富山米など、多彩な富山県である。



 まずは「しろえび」である。
 「しろえび紀行」というせんべいが、近場で販売されている。

 富山湾で獲れるしろえびと富山米100%で作られたせんべいである。
 値段は少々お高いが、それなりに価値のあるものと思われる。


 しろえびは水深数100mの所に生息していて、大量に獲れるのは富山湾だけと云われている。
 透明感で淡いピンク色をし、水晶のように内側から光り輝くその姿から「富山湾の宝石」と呼ばれている。


 しろえびの漁獲量は年間約600トンと少ないため、近県以外への持ち出しは殆ど無いそうで、富山へ行かないと、なかなか食べることができないものである。


 刺身は、とろりとした舌ざわりに、コクのある上品な甘さと香りがする絶品だそうである。
 また殻ごと天ぷらにするしろえびのかき揚げもサクサクとして香ばしい味が大変美味いものである。

 かつて金沢で、しろえびのかき揚げ蕎麦を頂いたが、正にそのように美味しいものであった。

                       

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 次は日本酒である。
 
 富山には全国番付20位に入る酒蔵がある。
 砺波の「TY酒造」と云う。

 勿論北陸ではトップの生産量を誇っている。


 この酒蔵、創業は江戸時代の終わりごろにまで遡る。
 井波町新明屋仙助という人物が幕府より酒造株の所持を許可されたことに始まる。
 そして明治には既に県内1位の醸造量を記録し、パリ万博にも出展されたという経歴を持つ。
 その後、株式会社組織とし、現在では3万5千石の醸造を行っている。


 当初は富山米を主原料とし、白山に源を発する花崗岩に濾過された清流庄川の伏流水を仕込み水に使用していた。
 しかし、昭和の中ごろには兵庫の「山田錦」をいち早く取り入れ、それを主米として仕込みを行っている。
 
 TY酒造は、富山という有数の米どころにありながらも山田錦をふんだんに使用することで知られ、山田錦の平均使用量は国内の酒蔵でトップクラスとなっている。


 もう一つ、この酒蔵が富山を代表する蔵となったのには、黄綬褒章受賞の杜氏の存在も大きい。
 杜氏は、新潟県醸造試験場で杜氏の育成に当たっていた山岸氏である。


 山岸氏がこの蔵へ来た当時は淡麗辛口全盛の時代であった。
 しかし、杜氏独自の信念で「辛い酒」ではなく「甘くない酒」を提唱し、「ひとりでに喉へスッと通る酒が一番」であるとの思いから、醸造を司り、全国新酒鑑評会の金賞常連蔵として育てて行ったのであった。


 富山は寒ブリやホタルイカそしてしろえびなど、美味い海の幸が豊富にある。
 その料理とマッチした酒は、その9割以上が県内で呑まれている正しく地産地消の酒である。


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 富山と云えば「富山ブラック」である。

 かつて富山を訪れた時に、この気になっていたラーメンを食べに向かったことがある。
「ブラックと云うからには色の黒いラーメンは間違いない…。どんなものなのか?」と期待を膨らましてである。


 駅前に富山ブラックの店を見つけ、入ってみた。
 ブラックを注文して、待つこと5分…。
 真っ黒いスープのラーメンが出てきた。
 具は、少々厚切りのネギ、焼き豚、メンマ、この3種である。
 麺は太めのストレート、かなり太い。


 味はどうか? 期待を持って、レンゲを使った。
「塩辛い!!」
 醤油そのものの味なのか塩を加えているのか分からないが、とてつもなく辛い。
 
 麺は堅めで噛み応えあり。好きなタイプである。
 しかし問題はスープである。
「辛いし、どうしよう?」
 と思案しながら、店内を見回してみた。


 ラーメンの食べ方と云う掲示があった。
 曰く、

『三味一体、まず混ぜよ! 
 まず先に、麺・チャーシュー・メンマをスープの中で混ぜるべし。
 全ての具をスープになじませることで、TKの味が出来上がるのだ。
 これ常識なり。』


 混ぜて見た。
 食べて見るが、何も変わらない。
 塩辛い。
 特にメンマは塩のカタマリのような感じである。


 ブラック云うからには、その奥に何か美味しいものが隠されている?
 と期待したが、なにもなかったのは残念ではあった。
 というか、その時は発見できなかった。
 辛さこらえて、やっとの思いで完食した。


「富山ブラック、なぜこんなに塩辛いのだろう?」


 その訳は、テーブルに置いてあったパンフに書いてあった。
 『半世紀以上昔、ドカ弁やおにぎりを持った労働者のために、オヤッさんは濃い味付けでチャーシュ  ーのたっぷり入った、「よく噛んで」食べるおかずの中華そばを考えだした。

 昭和22年、終戦後のことである。

 噂に噂を呼び、富山祭りには千人もの行列を作ったこともあった。
 じいちゃんから、とうちゃん、孫へと、今や三世代にわたり親しまれているTK。
 富山県民ならば知らない者はいない。
 これも流行に左右されないこだわりの味を頑固に守ってきたからだと自負している。』

 全て書かれている。


 小生のようなものが、観光気分で味わうようなラーメンではないのである。
 肉体労働をして、汗をダラダラかいて、腹を空かして食べるものであった。


 戦災からの復興仕事をする人たちのために、身になる「おかず」を屋台で提供したのが始まりだったのである。
 ご飯を弁当箱に詰めて持参し、ラーメンをおかずにするのが、正しい食べ方であった。
 だから、今もメニューに「ご飯」はない。


 この富山ブラック、最初は観光用の新作のご当地ラーメンかと軽く考えていたが、見事に打ち砕かれた。
 ここに、このラーメンの歴史・真髄を見たのであった。


 近場にも富山ブラックのラーメン店がある。

近々に行ってみよう。