今回の書評は、前回「久々に書評」(https://ameblo.jp/katz-field/entry-12817792213.html)で書いた「あまりにもつまらなかった本」についてです。

 

2月頃に買った本でしょうか。あまりにおもしろくないので途中で放り出していましたが、まぁ、最後まで読み切ろうと思い、読んでみました。だとしても結果としては、やっぱりおもしろくなかったとなるのですが....。

中山智香子, 2020, 『経済学の堕落を撃つ』, 講談社.

価格は1000円ですが、なんだか最近の新書は1000円でも良心的な価格のようになってきてしまいました。というか、1000円払ったのにつまらない本だったというのは、ちょっとなぁ、というところです。

まず7章までは、完全にお勉強レベルの本で、一般向けの話ではありません。つまらない教科書を読まされている感じがあります。8章はおまけ扱いされていますけど、戦時経済の歴史のようなところがあって、まぁ、悪くはないです。

で、9章以降が現代に近い感じでしょうか。9章はフランクとか(アミンは注釈扱いだった)、ウォーラスティンとかが出てきます。まぁ、経済学と言えば経済学ですが、う~んと言う感じです。開発理論と従属理論の対立から世界システム論へと展開していく流れは、数十年前に大学で習ったような....、経済学と言うより社会理論ですね。で10章になると、イリッチとか、フーコーとか、カルスタとか、90年代の思想的流行というか、大学とか学界という狭い世界でのみ流行ったような話です。

思うに9章なら9章だけで、開発経済学で1冊書けるような話だし、10章はそもそも経済学の話ではなく、その手の本はそこそこ出ています。10章は「ポストモダンという社会理論をどうやって経済学に当てはめていくか」という問いで論を展開するなら、まだ問いの設定としてわかるんですけどね。なんか、ポストモダンを持ってきて「経済学はけしからん」と言っているだけのような感じです。

もちろん、たとえばイリッチのシャドーワークの概念とかは、日本の女性労働というか、M字型雇用というか、そういう分析にも関わっている訳で、児童手当の根拠をかなり強化するような面もあります(まぁ、児童手当はシャドーワークに報酬を払うというより、必要経費の一部を補填するだけという感じですけど....)。だから、経済学と無関係ではないけれども、「経済学はけしからん」というだけのために使うのは、ちょっともったいない。

11章は、貨幣論でしょうか。ここに懐かしのレギュラシオンや、未だによくわからないMMTなんかも出てきます。が、レギュラシオンは貨幣論だけでなく、アラン・リピエッツの環境経済学やバンジャマン・コリアの労働経済学(コリアのトヨタ研究は日本人留学生の論文パクリ疑惑があるという話を聞いたことがありますが....)など、結構いろいろあって幅が広いはずなんですけど、何でしょうね、この扱い方は....。MMTにいたっては、つけ足し扱いです。

12章は所有論というか、コモンズ論というかですね。あるいは「公共とは何か?」という命題でしょうか。これはこれで結構な厚みのある研究分野です。農村研究や環境研究では日本の農村社会における「総有制(不動産業界用語の「総有」とは少し違う使い方をしているかな)」という土地の所有や管理のあり方について論じていたりするんですけど、そういう話は出てきません。なんか、通り一辺倒という感じです。

で、読み終わって「結局のところ何が問題だったのか?」というか「経済学の堕落を撃つ」といいながら、どこをどのように撃ったのかわかりませんし、今の経済学に対してオルタナティブを提示しているのかどうかもわかりません。あらぬ方向に撃ったのでしょうかね???

そもそも、日本の理論研究とか思想研究とかって、文献研究で「誰々のどの著作が、どうのこうの」という感じが強いんですよね。でもって、その誰々の理論が神格化されたような状態になって、「おまえは信者か!」といいたくなるような研究すらあります。いや、大学の時、調査屋だったうちの研究室の隣が完全この手の理論屋で、つきあいがあったのわけです。で、この理論屋さんの会話では、フーコーにせよ、イリッチにせよ、出てくるんですよね。でもなんか、現代社会を研究しているというより、理論の純化を目指しているという感じがしてました(面と向かってはいわないけど)。象牙の塔でしょうか。なんか、この本を読んでいて、話のかみ合わない当時のフーコー信者とかにつきあわされていた時と同じような感覚がしました。

もちろん、イリッチとかについてはすごい思想家(というか使える分析概念を提供してくれた人)だと思いますけど、その信者は面倒くさいのが多い気がします。まぁ、狂信者でないだけマシかもしれません。なんか、そういう信者の自己満足研究の話につきあわされたときのような徒労感が残る本です。

あるいは、さっきもいいましたけど、新書レベルの話ではないような気がします。「今の経済学がおかしい」ということを一般向けにわかりやすく書くなら、たとえばノーベル経済学賞の話題から入るとかすれば、入口の敷居がぐっと低くなります。ノーベル経済学賞の受賞結果を見ていると「こんな程度の研究で受賞出来るんだ」と思えるものもありますし(投資でのお金儲け方法の研究とか)、ノーベル経済学賞自体「あれはノーベル賞ではない」という人すらいます(もちろん、アルマティア・センのように社会問題に真剣に取り組んでいる経済学者もいますけど)。研究者としてのマウントをとるために、わざと敷居を高くしているのでしょうか。いずれにしても、一般向けの本としては、そういった工夫が足りない本ということが出来るかもしれません。